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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

日記を公開したいってすごい

『So-net blog:古田敦也公式ブログ:LAから』を読んで
http://blog.so-net.ne.jp/atsuya-furuta/2005-01-15
次の部分

S「日記を公開したいってすごいですよねえ?」

古「えっ、すごいって?」

S「日記を人に見てもらいたいって気持ちが理解できない。ちょっとおかしいんじゃないかな?」

古「そ、そ、そうかな?」

S「よっぽど自己顕示欲が強くなきゃあんなことしないでしょ!」


 Sさん(ちなみに30代女性)の意見、分かる気がする。(^_^;)
 日記には他人に見せないイメージがある。誰にも言えないことをこっそり書くという…。鍵付きの日記を使ったり、鍵の付いた引き出しにしまったり…。
 ところが、ほとんどの日本人は他人に見せる日記から始めているんじゃないかな。小学生の頃の「絵日記」は先生に見せることを前提にしていたと思う。先生にしか見せないので「交換日記」に似ている。でも先生のコメントは少なくて、やはり個人的な日記を先生に見せていたような感じ。私は日記を書くのをさぼって怒られた。先生との交換日記といえば、最近は「心の危機を発見しやすくする」というような理由で先生に見せることを前提に生徒に日記を書いてもらう取り組みがテレビなどで紹介されていたように思う。交換日記は他人に見せることが前提になっているが不特定多数の他人には見せない。不特定多数の人に見られるかもしれないけれど一応自分のグループ内での交換日記ということではミスチルの「Sign」が主題歌の「オレンジデイズ」に出てきた「オレンジノート」を連想した。「あんなプライベートなことを書いて、よくあんな所に置きっ放しにできるよなぁ」と思った。第三者に見られても平気なことしか書いてなかったのかな。

 生きている間は他人に見られないけれども死後に見られることを前提にして日記を書いていた作家がいたらしい。昔の有名な作家だったと思うが誰だったかは忘れた。その話を聞いた時は驚いた。「他人に見せないもの」という日記に対する固定観念が崩れた。確かに死後には他人の行動を制限することができない。自分の日記を見られる可能性が高い。そう考えると恥ずかしい日記は書けないだろう。作家なら尚更である。「こんな情けない文章を書いているんだ」と思われたくないだろう。他人に読まれることを前提に日記を書く気持ちが想像できた。そして、そのことを考えていたら、一番最初に書いた絵日記は先生に読まれることが前提であったことを思い出した。

 みんな、他人に見せる日記と他人には見せない日記は分けているのではないだろうか。で、日記を他人に見せる動機は……、有名人はお金を貰っていて仕事の一つだろうからどうでもいいが、素人が日記を公開する動機は……、幼い子が母親に自分のことを見てもらいたい心理と同じかもしれない。「ねえ、ママ、見て見て。ほら見て」というように…。「読んでいる人の役に立ちますように」と思ってブログの記事を書いている人はどのくらいいるのだろう?

 「お前のブログだって役に立ってない」って…?
 まあ、いいじゃないですか。(^_^;)
 「もしかしたら誰かの役に立つかもしれない」と思わせてくださいな。(;^_^A)
 私と同じ意見の人が読んだら、その人は少しは自分の意見に自信が持てるかもしれないし…。最初から自信がある人は、その自信をより確かなものにできるかもしれないし…。たった一人でも、私のブログや私のサイトを見て役立ててくれたのなら、それでいいです。なんか、自分の知識や意見を自分の頭の中に留めておくのは勿体無くて…。私が死んだら私の意見は消えてしまいますからね。
 自信過剰?
 まああま、いいじゃないですか。(^_^;)


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