嗜好の自由を認めた上で
『水島広子★国会報告 No.215』を読んで
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200501221250000000056084000
次の部分
小児性愛は、性嗜好異常に分類されますが、克服しつつある人の話によ
ると、嗜好は嗜好として残っても、行為に移すことは子どもに対する人権
侵害であり虐待なのだと自覚することで、行動をコントロールしていくそ
うです。自分の行動を社会の中できちんと位置づけられるということでし
ょう。そのためには、社会の中で孤立させないということも重要なのだと
思います。
これは重要なことを示唆している。
精神科医による「治療」は「性嗜好異常」を無くすことかもしれない。性欲を抑える薬もあるらしい。しかし、「性嗜好異常」を無くさなくても『行為に移すことは子どもに対する人権侵害であり虐待なのだと自覚』すれば問題ないのなら、治療する必要がない。「性嗜好異常」が犯罪を引き起こすのではなく、『行為に移すことは子どもに対する人権侵害であり虐待なのだ』という自覚の無さが犯罪を引き起こしているのだろう。したがって「性嗜好異常」を強制的に治療することには問題があるような気がする。そして『行為に移すことは子どもに対する人権侵害であり虐待なのだと自覚』させることは「治療」ではなく「教育」の範疇ではないだろうか。有効な教育のためには心理学的な知識が必要だろうが…。
同じことがあらゆる犯罪に言える。犯罪行為を想像することは自由である。小説の中には酷い犯罪がたくさんある。著者は自由に想像しているはずである。しかし、実行することは許されない。実行しないためには最低でも「犯罪行為である」という知識と「犯罪行為はダメ」という自覚が必要だろう。その上で犯罪行為を避ける行動パターンを身に付ければ、犯罪行為を想像しても実行しにくくなると思う。
「犯罪行為を想像する人は犯罪行為を実行する」と短絡的に考えてはいけない。普通は短絡的に考えていないだろうが、少年犯罪や一般的でない犯罪が起こった場合は短絡的思考が目立つような気がする。
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