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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

ホームレスの原因帰属

『ホームレスは努力しているか?:ミッドナイト・ホームレス・ブルー』を読んで
http://blog.livedoor.jp/kenjiro45/archives/13486233.html
次の部分

で、ご存知の方も多かろうが、この種の議論はおおむねおなじパターンをたどる。図を描こうと思ったら失敗したのでことばで説明します(笑)。

* なぜホームレスか?→本人の意思→自己責任→保護的な措置は不要→社会悪(不法占拠・義務違反・とにかく迷惑)→強制排除・強制収容・無支援で放置
* なぜホームレスか?→不本意→努力不足→自己責任→(以下略)

否定する人たちの論調は、このようにあくまでも本人の自己責任を問う形になる。対して擁護する側は、

* なぜホームレスか?→本人の意思→社会に問題あり→要保護的な措置→公的支援
* なぜホームレスか?→不本意→すでに全力か努力不可能な状態→要保護的な措置→公的支援


 雨崎良未さんのブログの記事『心を病んでるホームレス』経由でこの記事を知った。このブログ「ミッドナイト・ホームレス・ブルー」は私のパソコンとブラウザでは読みにくい(以前の記事を見ると表示が乱れることは本人も気づいていて改善する予定らしい)のだが興味深いブログである。
 さて、上記引用部分だが、その通りだろう。心理学的には「原因帰属」の問題のような気がする。『原因帰属が学習意欲に影響する過程』について『認知カウンセリングから見た学習方法の相談と指導』(市川伸一編著、ブレーン出版、1998)の15ページの図2に分かりやすく図示されている。このブログに図を示すことはできないが興味のある人は読んでいただきたい。それは学習意欲に関するワイナーの理論に基づいているらしいが、ホームレスの労働(社会復帰?)意欲にも応用できるのではないだろうか。そして、批判する人も養護する人もホームレスの現状の原因をどこに帰属するかで言動が変わるのだろう。
 『認知カウンセリングから見た…』の図は書けないが、14ページにワイナーの理論の簡単な説明が書かれていたので一部を引用する。

これは、成功や失敗の原因を人は何のせいにするかということにほかなりません。とくに有名なのはワイナーの理論です(Weiner,1972)。彼は、表3のように、「原因が内的なものか、外的なものか」という要因と、「安定なものか不安定(可変的)なものか」という要因によって分類しました。


 その表3は次のようなものである。

安定 不安定(可変)
内的 能力 努力
外的 課題の難しさ


 『ホームレスは努力しているか?』の筆者がキーワードとしてあげている「努力」は内的で可変的な要因である。ホームレスを養護する側が重視しているのは安定していて変えようのない「能力」か支援不足による「課題の難しさ」だろう。この課題の難しさは「安定」ではあるが外的な要因なので公的支援の充実でより良い安定な状態に変えられるということだろう。実際はどこに原因があるのだろうか。人によって違うと思うが…。学習意欲が増すのは「内的で可変的な要因」に原因帰属した場合らしい。上の表では「努力」になる。ホームレスが労働(社会復帰?)意欲を増すのは彼らが「内的で可変的な要因」に原因帰属した場合だろう。
 『認知カウンセリングから見た…』にはその後に次のような興味深い文章がある。

奈須(1993)は、日本のように努力を美徳として子どもの頃から強調されている社会において、学習の成果が上がらない学習者に単に努力するよう教示することは、より深刻な能力帰属に陥りかねない危険があることを指摘している。「こんなに努力しているのに成績が上がらないのは、頭が悪いからではないだろうか」と考えて無力感におそわれてしまうということです。


 最近の研究ではどういうことになっているか分からないが、頑張っても頑張ってもダメなとき原因帰属を可変的な「努力」から安定して変えようのない「能力」に変えてしまうことは容易に想像できる。『認知カウンセリングから見た…』の著者は「内的で可変的な要因」として「努力」ではなく「学習方法」を重視して、その見直し(改善)勧めている。ホームレスに応用した場合は就労(社会復帰?)に向けての努力方法の見直し(改善)になるだろう。

 「原因帰属」との関連で考えて書いていたらトラックバックしようと思った理由から遠ざかってしまった。再び冒頭の引用に戻る。
 どのパターンも「なぜホームレスか?」で始まっている。それを見て私がふと思ったのは「みんな原因によって態度を変えるのだろうか?」ということである。例えば道を歩いていて倒れている人を見かけたとする。その時、倒れた原因によって助けるか助けないかを決めるのだろうか。単につまずいて転んだだけなら助ける必要はないかもしれないが、明らかに助けが必要な状態(毒矢が刺さっている人の譬えがどこかにあったような気がするが少し違うかな?)で倒れている場合、原因が何であっても取り敢えず助けるのが望ましい態度ではないだろうか。ホームレスが助けを必要としている状態にあるのなら、原因が何であっても助ける方向で動いた方が良いのではないだろうか。ホームレスを助けようとして動いていない私にはそんなことを言う資格はないかもしれないが、私は助けようとしている人を邪魔する気はないし、税金の形で支払った私の金が使われる公的支援(ただしホームレスに対する強制がないもの)にも反対しない。

 ちなみに私はホームレス関連の議論には参加していないし、参加するつもりはない。この記事(もう一つトラックバックする予定)は例外で、「ミッドナイト・ホームレス・ブルー」は今後も読ませていただく。それから、「なんちゃってホームレス」と呼ばれそうなことをしていたことがある。帰ろうと思えば帰れるが帰らずに、ママチャリに生活用の荷物を積んで公園などで野宿をしながら放浪していたことがある。数日間同じ場所に滞在していたこともある。「旅人」という肩書のつもりであったが、旅の途中でホームレスの中にママチャリに荷物を積んで移動している人がいることを知り「私と同じだ」と思ったことがある。だからといってホームレスの気持ちが理解できるわけではないが、そんな人もいるということで…。それからサラリーマン風のホームレスに危ない場所を教えてもらったり雨の日に寝る場所を分けてもらったりしたことがある。テレビでも時々報道されているがいろいろなホームレスがいる。

追記:
 上記の『私のパソコンとブラウザでは読みにくい(以前の記事を見ると表示が乱れることは本人も気づいていて改善する予定らしい)』に関して、現在は私のパソコンとブラウザ(MacのIE)でも表示が乱れることなく横長になることもなく見られるように(見やすく)なりました。

追記(2010/1/9):
 武州無宿・健次郎さんのコメントにある「セリグマン」は【学習性無力感】のマーティン・セリグマンではないかと思われる。
 また、武州無宿・健次郎さんの【ミッドナイト・ホームレス・ブルー】の別の記事へもリンクさせていただく。


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読者の反応

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コメント 2

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武州無宿・健次郎

おはようございます。トラックバックいただきましてありがとうございました。
こちらはとても興味深い記事ですね。ワイナーの理論というのは知りませんでしたが、セリグマンの「説明(解釈)スタイル」の考え方によく似ているように思いました。彼は、

・個人度/自分が原因か、自分以外が原因か
・普遍性/全般に及ぶのか、特定の事柄だけか
・時間軸/永続的なのか、一時的なのか

と三つの軸を考え、抑うつ状態に陥りやすいタイプの人は、自分が原因でそれが人生全般に及び永続的につづくと考える傾向が強いといいます。ワイナーの安定性というのは時間軸に相当するのでしょうか。

努力というのは励ましのときには役に立つものですけれど、責めに使われるとキツイものになります。
「能力で決まっているのではなくて、努力で変えられるんだよ」
ならばモチベーションも高まりましょうが、
「てめー、もっと努力しろぃッ!」
となってしまうと逆効果になりますよね。使い方しだい、諸刃の剣のようなところがありますね。
by 武州無宿・健次郎 (2005-02-08 06:31)

正己

武州無宿・健次郎さん、コメントありがとうございました。
セリグマンの「説明(解釈)スタイル」ですか…。私の記憶から抜け落ちていました。(^_^;)
どうもありがとうございます。m(_ _)m
また一つ賢くなれたようで嬉しいです。(^_^)
それから、ワイナーの理論は古くて今は三つの軸を考えるようになっている、というような話を聞いたことがあります。どこで知ったか忘れてしまって…。でも、セリグマンの「説明(解釈)スタイル」の方が応用しやすそうですね。
どうもありがとうございました。
by 正己 (2005-02-08 14:01)

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