正己も眞鍋ブログを考えた
『眞鍋かをりのここだけの話 powered by ココログ: 眞鍋が眞鍋ブログを考えた』を読んで
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_1.html
次の部分
長くなってしまいましたが、要は
「これからも感じたことを誰にも迷惑かけず気楽に書かせてもらいたいっす」
ってことです。
そして、世の中の役に立つブログ作ってる人、ガンバレ!!
もうそろそろ寝ようかと思ってパソコンを見たらRSSリーダ(?)に眞鍋さんのブログが更新されたというお知らせが…。覗いてみたらいつもと違う雰囲気でトラックバックしたくなった。
結論から言えば、眞鍋さんの結論通りで良いと思う。
私も眞鍋さんのブログについて意見を述べたことがある。そこに『私は「プライベート感のある」ブログよりも社会で起こっていることに関する意見を書いたブログの方が好きである。』とも書いた。しかし、それは「プライベート感のある」ブログが嫌いというわけではない。好きな人の日常生活はやっぱり知りたい。私の場合はステキな考え方をする人を好きになるが、その人の考え方を知った後はどうしてそのような考え方をするようになったかが知りなくなる。その答えは日常生活にあるのではないだろうか。ブログなどに意見を書かなかったとしても、その人の行動がその人の意見を語っているのではないだろうか。
それから、読んでいて楽しいブログはあった方が良い。今までいろいろなブログを読んできたが、大学の論文(小論文)のようなブログを読んでいると勉強になるが疲れる。「読まなければいいのに」と言われそうだが、勉強したいからやはり読む。そのようなブログを渡り歩いている時に、眞鍋さんのブログのように気楽に読めて楽しいブログがあると頭を休憩させることができる。不機嫌そうな暗い顔が笑顔に変わる。そのような意味でも眞鍋さんのブログは有益である。
それにしても、自分のブログのあり方についてここまで考えていたとは…。ほとんどの人はあまり深く考えず、自分の書きたいように書くか、読者に気に入られる(褒めてもらえる)ように書いているのではないだろうか。眞鍋さんの場合は自分の書きたいように書いているようで、読者が喜ぶようにと思って書いているような気がする。冒頭の次の言葉がそれを表しているのではないだろうか。
今回はべつに楽しい内容ではないので、それでも良いという方だけ読んでください。
普段はブログに書かないような楽しくないことについていろいろと考えているのだろう。今回の記事は書かずにはいられなかったから書いたような印象。眞鍋さんには「真面目で賢い」というイメージがあったが、今回の記事を読んでそのイメージが強化された。
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