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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

褒美は逆効果かも

『ゆうきゆうの快感アメーバ心理学: やって、させて、ほめて (前編)』を読んで
http://blog.ameba.jp/yuki/archives/000592.html
次の部分

ある時、杉村健という学者が小学生2400人に対して「勉強する理由」というものを聞きました。
すると理由のうちの上位を占めた80%は、「親に誉められたいから」「先生に叱られたくないから」といったような外発的動機づけでした。

でも、成績がいい生徒たちはほとんど「好きだから」「面白いから」「新しいことを知りたいから」といった内発的動機づけを理由として挙げていたのです。


 内発的動機づけの重要性は昔から指摘されていたと思うが、いまだに普及していないような気がする。「褒美」を使って他人を操ろうとしている人が多いような気がする。「飴と鞭」という言葉を何度聞いたことか…。

 私が内発的動機づけの重要性を知ったのは「知的好奇心」(波多野誼余夫・稲垣佳世子著、中公新書、1973)を読んだ時である。この本に『第二次世界大戦以降には、内発的動機づけの考え方が優勢になりつつある』とある。この本は古い本で最近の研究結果がどうなっているか分からないが、良い本だと思ったのでぜひ読んでほしい。

 外からの報酬が内発的動機づけを低減する、と主張している人もいるらしい。デシという人とレッパーという人が実験して確かめたらしい。彼らは「過正当化効果」と呼んだらしい。「欲求心理学トピック100」(齋藤勇編、誠信書房)の178ページ(算数正解!「はい千円」 報酬と内発的動機の関係)に次のように書いてある。

 もっとわかりやすくいえば、デシの実験で報酬を貰わなかった被験者は、パズルが面白いから、楽しいから、好きだからパズルをしている、つまり、パズルをすること自体が目的であったのに対して、報酬を貰った被験者は、報酬の存在を知ることによって、パズルをすることは報酬を獲得するための手段である、と考えるようになったのである。その結果、内発的動機づけが低くなり、かわりに外発的動機づけが高くなる。そして、もはや報酬が得られない自由時間になると、パズルで遊ぶことに興味を示さなくなったのである。


 頷ける人が多いのではないだろうか。
 私は小学生の時に算数が得意だった。褒められたから得意になったわけではない。問題を解くのが楽しくて楽しくて、変わった問題や変わった解き方を紹介している本も積極的に読むようになって、いつの間にか算数が得意になっていた。外発的動機づけではなく内発的動機づけによる高成績であった。「飴と鞭」による指導よりも内発的動機づけを高めるような指導を心掛けた方が良いと思う。

 過正当化効果に関して、ちょっと余談。
 以前お遊びでこんな計算→【御褒美の効果(長期的視点)】をしてみたのだが、過正当化効果と同じような結果になった。この計算に科学的な根拠はないが、興味のある方(ただし時間的な余裕のある方)は覗いてみてくださいませ。

 ところで、引用したブログ記事の主題である『人を指導するコツ』に関しては、次の言葉でまとめているようだが、その通りだと思う。

『やって見せ、言って聞かせて させてみて、誉めてやらねば人は動かじ』


 『山本五十六(やまもといそろく)の言葉』らしく、どのようなことを指導する時に使ったのか分からないが、上記の言葉は正しいと思う。指導される立場で考えると、やって見せてもらって、言って聞かせてもらって、指導者の目の前で試しにさせてもらえれば、私は覚えるのが早くなる。だから昔の職場で新しい職員や実習生に実験装置の使い方を教える時も『やって見せ、言って聞かせて させてみて』を実践した。最後の『誉めてやらねば』は実践したとは言えないかもしれないが、教えた後に次のように言葉をかけることが多かった。技巧としての言葉ではなく本音である。
 「OK。OK。大丈夫。それでいい。それでいいよ。じゃあ、よろしく頼むね」
 この言葉では褒めていることにならないかもしれないが、相手を肯定している言葉なので悪くはないだろう。(^_^;)

 この『やって見せ、言って聞かせて させてみて、誉めてやらねば人は動かじ』の具体的な解説は『ゆうきゆうの快感アメーバ心理学: やって、させて、ほめて (後編)』で述べられている。


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