SSブログ
RSS [RSS1.0] [RSS2.0]
共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

遺書である

『田口ランディブログ:アメーバ的日常: 大雪』を読んで
http://blog.ameba.jp/randy/archives/000650.html
次の部分

そもそも私が伝えたいことって、なんだろう……って。
実は、私は生きています……という、そういう手触りだけを、伝えたいがためにこんなにまわりっくどく書いているんじゃないか……と思った。
私は生きています。ここに生きています。存在しています。

 遺書である。
 金が入るわけでもなく、誰かの役に立っている実感もなく、それでも私は書き続けている。「書き残さなければ」と思うから書き続けている。私の文章は「遺書」のようなものである。私の死後のために書き残している文章である。

 私は死ぬのが怖い。「遺書」は死の準備のためであるが、私は死ぬのが怖い。たしか大学生の時に見た夢。「死後」を連想させる不思議な夢で、目が覚めた時に「生きていた」と喜んだ。それ以降も金縛りにあうたびに「死んでたまるか!」と心の中で叫んでいる。
 なぜ私は死ぬのが怖いのか。死後の世界が怖いわけではない。私の存在が消えてしまうことが怖いのである。私は自分が好きである。好きで好きでたまらない。「ナルシシスト」と言われてもいい。自分の容姿はそれほど好きではないのだが…。私は自分が好きだから、自分が消えてしまうのが嫌なのである。私の好きな私が消えてしまう「死」が怖いのである。

 死ぬのが怖くても、人はいつかは死ぬ。自分の身体は消えてしまう。それでも私は私をこの世に残したい。何を残したいか。私の身体を残したいとは思わない。でも、私の心は残したい。どのように残すか。文章を残すことにした。「言葉」を使って私の心を残すことにした。
 「言葉」を「第二の遺伝子」と考えている人もいるようである。昨年のNHKスペシャル「地球大進化〜46億年・人類への旅〜」第6集を見て知った。「言葉」は『経験や知識を次世代に伝え、より効率的に食料を確保』するために、そして『遺伝子の突然変異という方法によらず、確実に進化する』ために使われるようになったと考えることができるらしい。私の場合は、そんなメリットを考えているというよりも、ただ単に私自身を残したい。私の心を残したい。そのために「言葉」を利用している。

 そういえば昔、あるメーリングリストで同じようなことを書いた。

 【生存の欲求】

 「生きていた証」を残すために私は書き続けている。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
カテゴリー:ブログを読んで
共通テーマ:日記・雑感

読者の反応

nice! 0

sonet-asin-area

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。