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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

生きやすい社会

『田口ランディブログ:アメーバ的日常: 生きやすいってこと』を読んで
http://blog.ameba.jp/randy/archives/000698.html
次の部分

生きやすい社会ってのは、安全だとか、平和だとか、豊かだとか、そういうこととはあまり関係なくて、みんなが自分のために智恵を出しあってくれる社会、誰かが自分の話を一生懸命に聞いて、そしていっしょに考えてくれる社会。そういう社会なんだよって思った。おせっかいじゃなく、義理じゃなく、ほんの一瞬でもいいから、ありのままの姿で自分の前に存在して自分を見て聞いてくれるような、そういう赤の他人がいる社会。それが生きやすい社会のような気がする。

 その通りだろう。私もそのような社会で生きたい。
 今の社会は生きにくいのだろうか。私は精神的に楽な環境にいるので生きにくさを実感できない。私の場合は生活に困らず私に害を及ぼす者がいない限り生きにくさを実感できないかもしれない。しかし、きっと今の社会は生きにくいのだろう。なぜ生きにくいのだろうか。上記の引用には『みんなが自分のために』とある。『そういう赤の他人がいる』とある。そうなのだろう。最近は変わってきたかもしれないが、家族が自分のために何かをしてくれることは期待できる。しかし、赤の他人が自分のために何かをしてくれるだろうか。それを期待するのが難しいのかもしれない。みんな余裕がない。自分のことで精一杯だろう。赤の他人のことなんか考えている余裕がない。そう感じられる社会だから生きにくいのだろう。
 昔、遠くに住んでいる親友の所に遊びに行って、帰りの夜行バスに乗る前に親友と飲みに行った。カウンターの席に並んで座り飲んでいた。その時に隣に座っているおっちゃんに声を掛けられた。彼は酔っていたかもしれない。親友と私は彼の身の上話を聞くはめになった。親友も私も嫌な顔をせずに聞いていたのだが、私の心には別の思いがあった。「親友との時間を邪魔するな」という思いがあった。もしもいつでも簡単に親友と飲みに行ける状況だったらそう思わなかったかもしれない。しかし、私と親友とは一年に一度会えば多い方だった。だから「親友との時間を邪魔するな」と思ったのだろう。
 私の例は特殊であるが、みんな自分の貴重な時間を奪われたくない時、赤の他人と関わりたくないと思うのだろう。そして、ほとんどの時間が貴重な時間なのだろう。ミヒャエル・エンデさんの「モモ」に登場する灰色の紳士たちに時間を奪われたかのように…。自分が自分の貴重な時間を他人に奪われたくないと思うのなら他人も同じように思っていると考えても不思議ではない。それで遠慮して声をかけづらくなる。自分の問題をひとりで抱え込むしか無くなる。みんながもっとのんびりと生きている社会なら、時間が有り余っているように感じられる社会なら、他人のために自分の時間を使っても気にならないし、自分のために他人に時間を使わせても気にならないだろう。そのような社会になれば生きやすくなるのだろう。そのような社会になるのだろうか。そのような社会にするにはどうしたら良いのだろうか。理想を述べるだけでなく、少しずつでも理想に近付ける方法があるのなら実行しなければいけないのかもしれない。


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カテゴリー:ブログを読んで
共通テーマ:日記・雑感

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sonet-asin-area

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femto

時間は公平だと思いますが、それでも人によって長く感じたり短く感じたりしますよね。やはり心に余裕が左右するのでしょうか。
生き易い社会は、双方に歩み寄りが出来る社会と思っています。
「そうゆう赤の他人」に妙に納得してしてしまいました。
by femto (2005-03-09 07:20)

正己

makoさん、コメントありがとうございます。
そうですよね。心に余裕があるかどうかで時間の長さの感じ方が違うようです。最近の私は時間が短く感じていますから気をつけないと…。(^_^;)
by 正己 (2005-03-09 08:41)

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