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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

是か非かではなく

『弁護士がこっそり教える絶対に負けない議論の奥義017』を読んで
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000143169
(上記URLのページはしばらくしたら「018号」に変わると思います)
次の部分(音声ブラウザで閲覧されることを想定して改行位置を変更しました)

■普段、私たちが議論する場合には、上の例のように、全く議論がかみ合わず、「なんでこの人はこんなにわからず屋なのだ。」と思うことがよくあります。しかし、それは、実は異なる土俵において相撲を取っており、議論になっていない場合が多いものです。

■双方が使用している言葉の定義を共通にし、論理を明確にすると、争点が浮かび上がってきます。

 その通りである。
 言葉の定義が異なっていたり、論点が曖昧なまま議論すると疲れる。昔、言葉の定義が異なったまま議論して失敗したことがあり、それからは相手が使った言葉(私が勘違いしそうな言葉)の意味を相手に確認しながら議論することにしている。長く議論するつもりがなければ気にしないのだが、議論が長引きそうなときは改めて確認することにしている。論点が曖昧になることもよくある。メルマガで紹介された例は同じことを主張し続けて平行線で終わりそうな場合であるが、話がどんどんずれて行って(発散して)曖昧になることもある。「で、何の話をしていたんだっけ?」という状態である。単なるお喋りなら話が発散した方が面白いのだが、議論の場合は疲れる。第三者が客観的に整理してくれる場合は少なく、相手に自分の意見を整理するよう要求できないし、要求しても無駄なことが多そうなので、自分で相手の意見を整理して確認の質問をしなければいけない。手間がかかり疲れる。最近は疲れるのでまともな議論を避けている。相手の話を聞きながら質問して相手の意見を整理することはある。しかし、自分の意見は控えめにしている。「独り言」のように書くだけにしている。「独り言」で済ませて楽をしているから私の意見は雑である。(^_^;)

 さて、メルマガでは第三者(谷原氏)のおかげで論点が明確になった太郎君と次郎君であるが…。

■上記の議論は、今後どんどん発展していきます。太郎君は、どんな理由があっても体罰は許されないというのですから、言うことを聞かない子供に対する体罰以外の代替措置を提案し、その有効性を立証しなければならなくなります。

 これができれば理想的である。しかし、『代替措置を提案し、その有効性を立証しなければ』反論してはいけないのだろうか。『どんな理由があっても体罰は許されない』という主張は間違っているのだろうか。『代替措置を提案し、その有効性を立証』できなくて『どんな理由があっても体罰は許されない』と主張できなくなるようなら問題である。

■次郎君は、躾という正当な目的の体罰が許されるというのですから、躾とは何かという定義付けをし、それが正当な目的であること、躾目的の体罰とはどの限度で許されるのか、体罰による躾目的達成の程度等の立証が必要となってきます。

 これは必要だろう。しかし、これで太郎君を説得できるのだろうか。太郎君は『どんな理由があっても体罰は許されない』という主張であるから、この主張を変えてもらわない限り説得できないだろう。

 結局、太郎君と次郎君とでは前提条件が違うから、その前提条件が一致しなければ議論は平行線のままである。どちらかが折れる(負ける)か、妥協点を探って中途半端な結論が出るだけだろう。

 科学技術の分野の議論では前提条件が一致していることが多いような気がする。NHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」でトランジスタを作るための議論の場面があったような気がするが、そのような議論では前提条件というか「目標」が一致している。その目標に近付くためにいろいろなアイデアが出され長所短所を指摘し合って最善の策を見つけるのである。それならば平行線で終わりにくく、一回の議論で結論が一致しなくても、それぞれの案を試した結果を基に再度議論することで最終的に皆が納得する結論が出る。
 太郎君と次郎君の例ではどのような目標を目指して議論したら良いだろうか。
 メルマガでは次のように争点を整理している。

■谷原「そうすると、議論の争点は、子供の躾をする目的で、人体に対する有形力を用いるという手段を選択してもよいのかどうか、つまり、目的達成のための手段の是非ということにならないだろうか。(以下略)」

 是か非かの争いでは、是である理由と非である理由を述べ合って相手に主張を受け入れてもらえるように努力する。しかし、躾の最善策を目標にして議論したら少し違ってくる。自分の主張を相手に受け入れてもらわなくても良いのである。議論の相手との共通の目標が達成できれば良いのである。太郎君は体罰以外に方法がない場合は体罰を認めるしかなく、次郎君は体罰が必要ない場合は体罰を認めないことになる。結局は太郎君と次郎君の作業は上記の引用部分と同じかもしれないが、体罰以外の『代替措置を提案し、その有効性を立証』するのは太郎君である必要はなく次郎君が考えても良いのである。一緒に考えれば良いのである。次郎君も代替措置が見つかれば体罰に固執するつもりはないはずで、代替措置がないと思っているから体罰の必要性を主張しているのだろうから。一緒に考えた結果、有効な代替措置が見つかればそれで良いし、見つからなければ太郎君と次郎君が一緒に『躾目的の体罰とはどの限度で許されるのか』を有効性を含めて考えれば良いのである。
 このように議論すると最終的には「是」とか「非」とかのように単純な結論にはならないだろう。数学の証明問題などでたびたび見られる「場合分け」が必要なことが分かるだろう。状況に応じて行動を変える必要があることが分かるだろう。どのような状況でどのように行動したら良いかの目安のようなものが作られるだろう。
 私はそのような議論が好きである。先に双方の「結論」がある「勝負」としての議論ではなく、双方がアイデアを提供し一緒に「目標達成」の手段を考える議論の方が好きである。
 少し粗いと思うが、この話はここまでにする。

 ところで、メルマガの末尾に次のように書いてある。

■このメルマガの説明

●このメルマガの目的
 *相手に論破されないこと。
 *相手の不正な議論術、詭弁術を見破ること。
 *論理的思考力を身につけること。
 *自説を正当化する理由付けを考え出す技術を身につけること。

●このメルマガが目的としていないこと(誤解されやすい点)。
 *議論で相手を打ちのめすまで論破すること。
 *説得を目的として相手の心理を変化させること。

●このメルマガの使い方
 *まずは、本文に沿って私の思考を辿ってみてください。
 *その後、私の主張ないし質問に対して反論してみてください。
  (但し、反論を私に送らないようご注意ください。)
 *更にご自分で反論した主張と理由に対して反論ないし質問をしてみてください。
 *以下繰り返して議論を深めてください。

 私はこの『説明』を初めて読んだ。最近のメルマガには書いてなかった。
 『但し、反論を私に送らないようご注意ください』とわざわざ書いてあるから、きっと反論を谷原さんに送った人がいるのだろう。(^_^;)
 私は送っていない。このメルマガのようなことがブログに書かれていればトラックバックするだろうが…。どちらにしろ、忙しい人(特に有名人)が発信するメルマガやブログは一方通行にならざるを得ないことを読者は認識しておいた方が良い。室井佑月さんのように読者に反応してくれる人は珍しい。他にもたくさんいるのかな?
 とにかく、相手の反応を期待しない方が良いし、求めてはいけないと思う。


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カテゴリー:メルマガを読んで
共通テーマ:学問

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