応益負担の理念図
『障害者自立支援法案による改革【説明資料】』を見て
http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/02/tp0214-1e.html
下から1/4くらいの所に便利な図があったので、応益負担について私が考えていることを述べるのに応用させてもらう。
サイトに載っていたのは『公費負担医療の利用者負担の見直し』の図であるが、「応益負担」の理念の図と一致するだろう。少し変えて図示すると次の通りである。
図1 厚労省案 |
Q1、Q2、Q3のように所得などに応じて利用者負担の上限を設けることにしている。しかし、障害者が健康で文化的な最低限度の生活を営むのに必要な支援P1、P2、P3に対しても利用者負担が生じている。所謂健常者は負担せずに済む額である。この負担によって障害者は他の生活費を削らなければいけなくなる。所謂健常者は削る必要がないのに…。一種の差別のような気がする。本来は下の図2のようにならなければいけない。図1の厚労省案と並べて示す。
図1 厚労省案 | 図2 正己の対案 |
図2のように、障害者が健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な支援については負担を求めてはいけないのである。公的機関や民間のサービスを利用するためにお金が必要なら、そのお金を国が保障しなければいけないのである。
健康で文化的な最低限度の生活が保障されたら、それ以上のサービスは所謂健常者と同じように負担することにすれば良い。上限を設けるのなら、それも所謂健常者と同じで良い。所謂健常者に対しても障害者に対しても上限を設けなくても良い。
問題は障害者が健康で文化的な最低限度の生活を営むのに必要な支援P1、P2、P3をどのように決めるかであるが、決定法は国が作らない方が良いだろう。「適正化」などの名目でできるだけ国が負担せずに済むような決定法にして、健康で文化的な最低限度の生活を営むのに必要な支援が受けられない障害者が表れる可能性が高いからである。P1、P2、P3の決定法は障害者が集まって作った方が良い。障害者のニーズを一番よく知っているのは障害者である。所謂健常者が作るよりいろいろな障害者が集まって作った方がまともな決定法になるだろう。
私の対案である図2も「応益負担」であることに変わりはない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な支援を誰が負担するかで厚労省案の図1と大きく異なる。国が障害者の健康で文化的な最低限度の生活を保障するのなら、それ以上のサービスに関しては応益負担で良いのである。厚労省など障害者自立支援法案の応益負担に賛成している人たちはそのことが分かっていないような気がする。厚労省は理念の段階で間違えているのである。
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