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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

カリヨン子どもセンターでは

『第162回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号(平成17年7月26日(火曜日))』を読んで
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007316220050726005.htm
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/162/0073/16207260073005a.html

 水島広子さんのメルマガ(2005.8.5発行:今はバックナンバーは見られません)で彼女が質問した部分だけ紹介されていて、その一部を私のブログでも紹介した(参考)。その彼女のメルマガに珍しく公式の議事録のURLが載っていた。メルマガで紹介した部分だけでなく全部を読んでほしいのだろうと思いながら、以前のメルマガ(2005.8.1発行:今はバックナンバーは見られません)で調べたら、参考人の牟田悌三さん(チャイルドライン支援センター代表理事)と坪井節子さん(カリヨン子どもセンター理事長、弁護士)は水島さんが推薦して招いたらしい。
 そして、実際に読んでみたら、他の人にも読んでほしいことが述べられていた。
 その中から一部を以下に引用する。坪井参考人のお話の一部である。コメントはしない。

(トップページで御覧の方は下の「続きを読む」をクリックして下さい)

 私たち弁護士は、東京弁護士会の子どもの人権救済センターというところで、既に二十年前から、子どもの人権一一〇番という電話相談と、そして面接相談を無料で設けまして、子供たちの相談に当たってまいりました。本当に、どうしてこの幸せなと思われるような、経済的に豊かだと思われるような日本の中で、これほどに苦しむ子供たちがこれほどに多くいるのだろう、どうして子供たちがこれほどに生きることに絶望し、不安を抱え、怒りを抱え生きているのだろうか、私たち大人は一体この子たちの話を聞いて何ができるのだろうかということを本当に毎日毎日悩みつつ生きてきたと言って過言ではなかったと思います。
 あるいじめで苦しんできた、自殺未遂をした男の子が、お父さん、お母さんに愛されていながら、しかし、いじめの事実を話せないまま学校に行けなくなり、励まされ、頑張れと言われ、その言葉自体が、もう見捨てられたということなんだ、僕は強くなれないんだ、死ぬしかないといって自殺未遂をした男の子の話を聞かせてもらったことがあります。
 死にたかったんじゃないんだよ、でも、毎日地獄のように苦しかった、だから死ぬしかなかったんだよ、死んだら両親が悲しむだろうなとは思ったよ、だけれども、死んでしまったら両親が悲しむところは見ないで済むんだよ、そう思って自殺したと。彼の話などを聞いていますと、真っ暗やみでひとりとぼとぼと歩いてきた彼らに、一体私たち大人は何ができたのだろう、どれほどひとりで生きようと試み、もがき、そして力尽き果て、命を落とさなければならないと決意したその子供の寂しさたるや、どんなものだったろうかと、本当に私としては、話を聞きながら何もすることができないとおろおろしていた、そんなことがありました。
 しかし、その子が、私がおろおろしているのを見て言ってくれた言葉がありました。子供の話をこんなに一生懸命聞く大人がいると思わなかったよ、坪井さんに話をしたら気が楽になったよと。私がこの子どもの人権救済センターの相談を続けてこれた大きな理由がここにあります。子供たちが求めているのは、解決策や下手なお説教や助言なんかじゃないんだ、自分たちがここで苦しんでいるということをきちっと聞き取って、そして一緒に苦しんで、悩んで、考えてくれる大人の存在なんだということ、それが子供たちに生きる勇気を与えるんだということをこの子たちから教えてもらいました。
 虐待されて子供たちが口をそろえて言う言葉、僕たちは生まれてこなければよかったんだ、僕が、私が生まれてきたことを親ですら喜んでいないんだ、私たちが生まれてきたことは迷惑だったんだ、私がいなくなれば親たちは喜ぶんだ、生きている価値なんかないんだ、私の命なんか自分で傷つけたってだれが文句を言えるっていうの、この感じですよ。ここまで人間不信になり、大人たちへの信頼を失い、そして生きるということについて確信を持てない、自分の命が大切だと思えない子供たち、一体私たちはどうしてあげることができるのかと思います。
 そうした子供たちは自傷行為に走り、あるいはやむにやまれず犯罪行為に走ります。私たち弁護士は、少年事件の付添人という仕事をしています。犯罪を犯した子供たちと少年鑑別所や警察署で出会い、どうしてそうした犯罪を犯すように至ったのかということをその子供たちから聞き取る、これもまた壮絶な子供たちの人生が浮かび上がってきます。
 新聞報道などではわからない、なぜその子供たちが犯罪を起こさなければならなかったかという、その長く重い人生の暮らし。子供たちの表現力というのはとても未熟です。警察でがんがん問われて、おまえはなぜこれをやったのだと言われて、すぐに答えられるような子供たちなんかいないんです。そこまで来るまでにどれほど苦しかったか。自分たちの苦しみをだれも聞いてくれない中で、ひとりぼっちの中で、自暴自棄になって、そして破裂するしかなかったかというそこの思いに寄り添うことができなければ、子供たちの犯罪を犯すその根底のところには届かないだろうと思います。
 実はこれが、夢のまた夢と思っていたその避難場所ですが、たくさんの方たちの御協力によって、昨年の六月、開設をいたしました。弁護士会がシェルターを運営するわけにはいかないということで、特定非営利法人を別に設立いたしまして、カリヨン子どもセンターという形でこれを開設しました。一軒家を提供してくださる篤志家があらわれて、あるいは中の家財道具、什器、備品、そうしたものを寄附してくださる方たち、あるいは子供たちとともに生きるということを申し出てくれているボランティアのスタッフの方たち、そしてたくさんの資金の提供をしてくださった方たち、本当に、この日本の中で、こうした見捨てられた子供たちのために手を差し伸べようと思う大人たちがこれほどまでにいてくれるのかということを、私は改めて、本当にうれしくなったということです。
 私たちができることなんというのは本当に知れています。しかし、そこに逃げ込んできた子供たちが、人間としての尊厳を傷つけられた、生きる勇気を失っているということは間違いないのです。この子供たちに、ひとりぼっちじゃないんだよ、そのメッセージをかけてあげたい。私たちがあなたたちの人生を解決してあげるということではない、あなたの人生をかわって生きてあげることもできない、前から引っ張ったり後を押したりすることもできない、でもそばにいるよ、一緒に生きよう、一緒に悩もう、あなたたちはひとりぼっちじゃない、このメッセージを伝えるだけが精いっぱいだ、そのことを、かかわるスタッフたちといつも共有しながら子供たちを受け入れています。
 そして、その中で子供たちが、こんな大人たちがいるんだ、自分たちを管理したり、あるいは処罰したり、あるいは見捨てたりする大人たちだけじゃなくて、こうした、自分たちとともに生きようとしてくれる大人たちがいるということに、本当に驚きをあらわします。そして、え、生きていていいの、自分がこんなに大事にされていいの、なぜそんなことしてくれるのという感じになっていきます。本当に早いんです、子供たちは、一カ月二カ月の間に。
 そして、その子供たちが、人を信じるということがそこから芽生えてくる。自分は生きていていいのかもしれない、こんなめちゃめちゃな自分だけれども、その自分を愛してくれる人がいるのかもしれない、この感覚を子供たちがつかんでいく、それが子供たちの生きるということのよすがになる。そして、自傷行為や他害行為に陥ることなく、この世の中でもう一度自分の道を歩いていくという、その勇気を取り戻す、プライドを取り戻す、その過程にわずかの間でも寄り添うというのがこのカリヨン子どもの家、子どもセンターの仕事かと思っています。

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