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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

代理出産で生まれた子の母は−3

『向井さん夫妻代理出産の最高裁決定要旨』(読売新聞、2007/3/24)を読んで
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20070325ik07.htm

 【代理出産で生まれた子の母は−1】【代理出産で生まれた子の母は−2】の続き。向井さんの裁判の判決を知った時の感想。

 この裁判に関する記事を読んで、よく分からなくなったのは【民事訴訟法118条】が出てきたことに原因がある。

 【民事訴訟法118条】は次の通りである。

民事訴訟法
(外国裁判所の確定判決の効力)
第百十八条  外国裁判所の確定判決は、次に掲げる要件のすべてを具備する場合に限り、その効力を有する。
一  法令又は条約により外国裁判所の裁判権が認められること。
二  敗訴の被告が訴訟の開始に必要な呼出し若しくは命令の送達(公示送達その他これに類する送達を除く。)を受けたこと又はこれを受けなかったが応訴したこと。
三  判決の内容及び訴訟手続が日本における公の秩序又は善良の風俗に反しないこと。
四  相互の保証があること。

 私は「日本の法律で向井さん親子に実母子関係を認められるのか?」が争点になっているのだと思っていた。しかし、実母子関係を認めてもらうのに民訴法118条が使われていたので混乱した。「日本の法律で実母子関係がどのように定められていようとも、例えば民法で向井さん親子の間に実母子関係を認めていなくても、民訴法118条の要件を満たせば、実母子関係を認めなければいけない」という論理なのかもしれない。だからややこしくなった。
 もしも日本の法律で向井さん親子に実母子関係を認めることができるのなら、民訴法118条を持ち出す必要はない。持ち出した時点で「日本の法律では向井さん親子に実母子関係を認めることはできない」が前提になったような印象がある。ただ、確かに民訴法118条の要件を満たせば向井さん親子に実母子関係が認められるらしいので、争点が民訴法118条第3号になったのかもしれない。そして、最高裁は「第3号を満たしていない」と判断したらしい。
 さて、最高裁が「民訴法118条第3号の要件を満たしていない」とした理由は「民法が実親子関係を認めていないから」である。しかし、民法が実親子関係を認めていれば民訴法118条は無用である。民法が実親子関係を認めていれば民訴法118条を使わなくても母子関係が成立する。残念ながら、最高裁の判決で述べられたように『民法には,出生した子を懐胎,出産していない女性をもってその子の母とすべき趣旨をうかがわせる規定』は無さそうである。「認知」を定めた779条が気になるが、弁護士が持ち出さなかったことから『出生した子を懐胎,出産していない女性をもってその子の母とすべき趣旨をうかがわせる規定』ではないのかもしれない。そうだとすると「民法は実親子関係を認めていない」のだろう。
 すると、最高裁判決で述べられたように民法に『母とその嫡出子との間の母子関係の成立について直接明記した規定はない』から「母子関係を認めないことはできない」という主張ではいけなかったのだろうか。昭和35年の判決についても「懐胎し出産した女性を母とする」判例であって「出産していない女性を母としない」ことを示しているわけではない。だから遺伝上の母を実母としても良かったし、認知するだけで原則として実母としても良かったように思うし、そのような主張で争っても良かったようにも思う。でも、今回の判決文を読むと、民法に明確な規定がないにも拘らず「民法で認めていなければダメ」という判決だったようだから、それでは勝てなかったかもしれない。

 次は補足意見を読んでの感想。

 代理出産の是非については、すでに代理出産で生まれた子には関係ない。問題になっているのは「代理出産で生まれた子の実母は誰か?」ということである。「遺伝上の母や認知した女性を実母としてはいけないのか?」ということである。とりあえず「出産した女性を実母とすることができないのなら、遺伝上の母や認知した女性を実母としてはいけないのか?」ということである。
 今井功裁判官の補足意見に興味深いことが書かれていた。
 まずは、この裁判について。

結局は,我が民法において代理出産により出生した子の母子関係はどのように解釈すべきかという問題に帰着することになる。

 その通りだろう。私も、それが一番の問題だと思っている。その上で次のように述べている。

このような技術の進歩に伴って生ずる身分法上の問題については,民法の制定当時には,想定されていなかったのであるから,それに関し民法が規定を設けていないことはいうまでもない。この場合に,民法が規定を設けていないからといって,そのことだけで直ちにこれを否定することは相当ではない。問題となった法律関係の内容に照らし,現行法の解釈として認められるものについては,身分関係を認めることは裁判所のなすべき責務である。

 民法で定めていないからといって母子関係を否定することはできない、と述べているように感じられた。解釈を間違っているかもしれないが、それについては同感である。
 しかし、今井裁判官は続けて次のように述べている。

しかし,身分関係,中でも実親子関係の成否は,法廷意見の述べるように,社会生活上の関係の基礎となるものであって,身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわる問題である。具体的な事案の中で,関係当事者の権利利益を保護すべきか否かという側面からの考察のみではなく,そのような関係を法的に認めることが,我が国の身分法秩序等にどのような影響を及ぼすかについての考察をしなければならない。

 出産していない女性を実母と認めることで身分法秩序を乱すことになるのなら実母と認められない、ということだろう。
 さらに今回の裁判を具体例として次のように述べている。

本件子らと相手方らとの間の法的な実親子関係を認めることがその福祉にかなうということができるかもしれない。

 母子関係を認めることのメリットを述べている。しかし、次のような理由で「認められない」とした。

しかし,ことは,それほど単純ではない。本件のような場合に実親子関係を法的に認めることの我が国の身分法秩序等に及ぼす影響をも視野に入れた考察をしなければならない。
(中略)
本件において,現行法の解釈として相手方らと本件子らとの間の実親子関係を法的に認め ることは,現段階においては,医学界においても,その実施の当否について議論があり,否定的な意見も多い代理出産を結果的に追認することになるほか,関係者の間に未解決の法律問題を残すことになり,そのような結果を招来することには,大いに疑問がある。

 向井さんのケースで母子関係を認めると悪影響があるから認められない、ということである。代理出産に否定的な意見に対する配慮から認められなかったのだろう。裁判所は代理出産の是非を判断する立場ではなく、国民が代理出産に否定的ならば結果的に追認することになる「母子関係を認める判決」は下せない、ということだろう。
 それは国民感情の問題で、身分法秩序とは関係ないような気がするが、ついでに身分法秩序についても少し考えてみた。
 まず、出産しただけでは実母とは認められないとしたら、昭和35年の判例が覆される。同じ訴訟が起こった場合に、判決が変わる。認知が必要になる。「出産>認知」だった優先順位が「認知>出産」になる。認知しなかった場合はDNA鑑定が証拠として使われるのだろう。遺伝上の母子関係があるにも拘らず認知しない場合は父子関係と同様な判決になるように思われる。「DNA鑑定」と「認知」の優先順位がどうなっているか、勉強不足で分からない。
 ここまで考えたら、父子関係の問題で身分法秩序は乱れているだろうか、と疑問が生じた。父子関係の問題で身分法秩序が乱れていないのなら、母子関係も父子関係と同様にしても良いのではないか、と思った。
 さらに考え続けたら、母子関係の規定を父子関係と同様に定めていないのはなぜだろうか、と疑問が生じた。民法上では母子関係は父子関係ほど重要ではなかったからかもしれない。母子関係が父子関係と同様に重要なら、母子関係も父子関係のように定める必要があるのではないだろうか。
 だらだらと書き続けてきたが、生殖補助医療技術が進歩した現在では、身分法秩序が問題であれば母子関係も父子関係と同じように定めればいいのではないか、というのが今の結論である。現実に人工生殖により子が生まれている以上、感情的な反対は害になるだけで、重要なのは生まれた子の位置付けを冷静に考えることだろう。


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