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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

北九州市の生活保護行政

『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』を読んで

追記(2013/10/15):
 ブログ記事中の『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』のリンク先は削除されています。
 現在は『北九州市生活保護行政検証委員会最終報告書』(PDF形式:837KB)があります。これは北九州市の『北九州市生活保護行政検証委員会』からリンクが張られています。最終報告に中間報告も合わせて載せられているようです。また『これまでの生活保護行政の総括と今後の方針について<市長会見>』(PDFファイル30KB)もあります。

 少し前のニュースになるが、北九州市生活保護行政検証委員会が中間報告をまとめて報告書を公開し、11月9日まで意見を募集している。北九州市のサイトに載っているから、北九州市の人の意見を募集しているのかもしれない。しかし、その報告書は興味があったし、読む価値があると思ったので読んでみた。
 冒頭は次の通り。

 「闇の北九州方式」、「水際作戦」。ここ1、2年、北九州市の門司区と八幡東区で生活保護の申請をした人が保護を認められず、その後死亡したケースが相次いだ事例を巡って、こんな言葉がマスコミに氾濫した。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』はじめに)

 さらに読んでいると次のような文章があった。

 第1回の検証委で私は委員会の役目として、二つの論点を挙げた。第一は、果たして市の保護行政で「闇の北九州方式」と呼ばれるようなことがあって、憲法25 条で保障された生存権がないがしろにされているのか、という点の事実解明である。
 第二は、マスコミが「生活保護を受けられず孤独死した」といった表現で、この二つの事実を直接的に結びつけていることについての疑問である。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』はじめに)

 マスコミ批判の文章になるのかと思った。しかし、違った。

 検証委での審議を重ねた結果、行政の対応に不適切な点があることが次々と明るみにでた。門司区と八幡東区の事例は、申請段階、いわば生活保護の「入口」での対応に問題があると判断した。小倉北区の事例は保護を受けている人が自立するとして保護を廃止する場合の「出口」で問題があったと認定した。
 詳しくは、本文を参照していただき、「入口」「出口」双方のあり方の改善へ向けての検証委の強い提言をお読みいただきたいが、要は生活保護法の精神や規定を尊重し、社会常識をもって対処するといった「当たり前の行政」の必要性が浮かび上がったといえる。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』はじめに)

 次のようにも書いてある。

 当然のことだが、この間の生活保護行政については、毎年、市議会の予算、決算の議決を受け、関係する常任委員会でも審議されてきた。「生活保護のありよう」は、市民の代表である議会から認められてきた。いいかえれば、市民の支持があったのである。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』はじめに)

 この「市民の支持があった」については、末尾(47ページから)に添付されているアンケートを見ても想像できた。不正受給に対する市民の怒りのようなものを感じた。

 さて、検証委員会による北九州市の生活保護行政に対する批判は頷くことが多かった。反論はないので、幾つか、メモのように記録しておく。
 まずは【生活保護法】の条文(の解釈)が紹介されているが、原文も読んだ方が良いだろう。その中で行政の運用で勘違いされやすく重要なのは【第二条(無差別平等)】【第七条(申請保護の原則)】である。【第二条(無差別平等)】は『すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。』としか書いてないが、検証委員会の解釈の方が分かりやすい。

① 無差別平等の原理(生活保護法第2条)
 性別や社会的身分などはもとより、生活困窮に陥った原因の如何はいっさい問わず、もっぱら生活に困窮しているかどうかという経済状況にだけ着目し保護を行う。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』5ページ)

 この「生活困窮に陥った原因の如何はいっさい問わず」が重要である。「自業自得だ」などと言って生活保護の受給を妨害するのは間違っているのである。
 そして、【第七条(申請保護の原則)】は検証委員会の中間報告書には「生活保護は、申請に基づき開始する。」としか書いてないが、条文には次のように書いてある。

(申請保護の原則)
第七条  保護は、要保護者、その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基いて開始するものとする。但し、要保護者が急迫した状況にあるときは、保護の申請がなくても、必要な保護を行うことができる。
『生活保護法 第七条』

 この但し書きを無視してはいけない。「急迫した状況」の場合は申請がなくても保護することができるのである。死にそうな人を申請が無いからと言って保護しないのは間違っているのである。北九州市で死亡したケースはいずれも「急迫した状況」の場合だったように思われる。そうでなければ死なない。検証委員会の中核報告では、そのことについての言及がなかったように思われる。それが唯一の不満かもしれない。
 ところで、但し書きでは『できる』となっているが、実は「急迫した状況」での保護は「義務」なのである。それは【生活保護法 第二十五条(職権による保護の開始及び変更)】から分かる。

(職権による保護の開始及び変更)
第二十五条  保護の実施機関は、要保護者が急迫した状況にあるときは、すみやかに、職権をもつて保護の種類、程度及び方法を決定し、保護を開始しなければならない
2  保護の実施機関は、常に、被保護者の生活状態を調査し、保護の変更を必要とすると認めるときは、すみやかに、職権をもつてその決定を行い、書面をもつて、これを被保護者に通知しなければならない。前条第二項の規定は、この場合に準用する。
3  町村長は、要保護者が特に急迫した事由により放置することができない状況にあるときは、すみやかに、職権をもつて第十九条第六項に規定する保護を行わなければならない
『生活保護法 第二十五条』

 メモ書きにするつもりが既に少し長くなってしまった。後はコメントを減らしてメモ書きを中心にする。

 しかし、ライフラインが止められたまま何か月も経過している事実やAさんの見た目にも弱々しい健康状態などの状況が判明している点などを総合して判断すれば、申請書を交付すべきであった。いわゆる「入口」での不適切な対応で、「水際作戦」と呼ばれても仕方がないと言わざるを得ない。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』11ページ)

 その通りだと思うが、申請書を公布するよりも前に『生活保護法 第七条』の但し書きを適用すべきだったように思う。

 「相談」の段階で、扶養義務者の有無や扶養の可能性などを尋ねることは福祉事務所にすれば当然であろうが、その「程度」が過度になるのは問題である。申請意思が明示されれば、保護申請を受理したのち、親族で話し合いを求めることや、厳格に調査することも可能であろう。
 この事例においては、扶養義務を重視し過ぎて、切迫した生活状況で健康状態に問題のあるAさんに扶養義務履行の可能性を求めたことは、生活保護法の趣旨からみて行き過ぎと思われる。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』11ページ)

 これは【生活保護法 第四条(保護の補足性)】の第2項の運用に関する部分だろう。ここにも第3項に『前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。』と書いてある。
 ところで、福祉事務所は申請の意思表示がされたのに申請を拒否したのだが、申請拒否は違法であると教わったような気がする。Googeで「生活保護 申請拒否」で検索したら、私のブログ記事『生活保護の申請を拒否できる?』がヒットした。前にも同じようなことを書いていたのか…。

 しかし、12 月8日のBさんからの相談に対し、普段から連絡が取れない長女について、その扶養の可否が明らかになるまで申請書を交付しなかった。
 福祉事務所側はこの対応について、検証委の聴取に対し、「子は親を扶養すべきだという市民感情もあり、バランスも必要である」と説明したが、委員からは「扶養ができないことを確認した後でないと申請指導しない(申請書を渡さない)というやり方は、法が求めているところではない」という指摘があった。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』16ページ)

 検証委員会の委員の指摘の通りである。

 この事例では、2004(平成16)年に入ってからでも、福祉事務所が既に2度の申請を受け付けており、Bさんの窮状と病状を十分把握していることからも、比較的容易に申請の意思を確認することができる状況だった思われる。ライフラインの停止や本人の健康状態などを総合判断することにより、あらためて扶養可否の確認を待つまでもなく、申請の意思表示があれば、申請を指導すべきだった。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』17ページ)

 その通りだと思うが、やはり職権保護が可能だったように思う。

 Bさんの死因が糖尿病に起因するものであり、糖尿病患者にとって、インスリン薬の服用は極めて重要で、生命に関わる場合もあること、最後に福祉事務所を訪れてから亡くなるまでに1か月と経っていないこと、12 月15 日に病院前で元気そうな姿が目撃されてから半月しか経っていないことなどを考え合わせると、Bさんの糖尿病に対する福祉事務所の認識が不足していたと言わざるを得ない。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』17ページ)

 その通りだろう。「福祉事務所の職員は無知ではダメですよ。勉強しなさい」ということだろう。

 しかし、生活保護法は、困窮状態に陥った原因を問わないこととしており(いわゆる無差別平等の原則)、相談者の過去の言動や性癖は、保護を拒む理由とはならない。このような言動や特異な性癖に福祉事務所が困惑した事情は理解できるが、保護の相談を受けるうえで何らかの影響があったとしたら、不適切な取扱いと言わざるを得ない。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』18ページ)

 これは『生活保護法 第二条(無差別平等)』に関係する部分。そのとおりである。

 次に、Cさんの辞退届の受理に当たっては、就職先や勤務時間、収入など自立して生活するうえでの最低条件について、見通しさえ尋ねていないことは、極めて不適切である、と検証委は判断した(この自立の確認については、いくつかの判決が必要性を判示している。最近では、別記Ⅲ(39 ㌻)の広島高裁2006(平成18)年9月27 日判決)。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』22ページ)

 広島高裁の判決が見たくなった。重要な判例だろう。(中間報告書の39ページに要旨がある。)

 検証委からは、「世間の常識からいっても、働く目途を聞くのは当たり前ではないか」と強く指摘し、早急にそのような運用に変えるべきだとの要求がでたが、福祉事務所側は現状に問題はないと拒否し、保健福祉局(本庁)保護課長も「Cさんのように、働けると診断された稼働年齢層の人が辞退届けを自ら提出した場合は、ケースワーカーが10 人いれば10 人が小倉北と同じ対応をとるだろう」との発言がある状態だった。市の保護行政全体にわたり、そのような感覚、雰囲気であったことがうかがわれる。ただし、実際には2007(平成19)年8月に実施した緊急点検では、自立の目途を確認していない廃止ケースは、同年4月からの3か月あまりで市内に1件しかなかった。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』22ページ)

 福祉事務所や保健福祉局(本庁)保護課長は反省してない様子。

 それでなくても、生活保護申請をする人たちは、心身とも疲れたという人が多いと思われる。これからは、面接員やケースワーカーなど関係する職員が、いっそう人間をみる洞察力と感受性を身につけて市民に接することが望まれる。同時に、精神保健の専門知識をもつ要員を確保し、サポートする体制を構築してほしい。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』23ページ)

 同感である。

 北九州市では、高齢の受給者が多いため、もともと自立支援対象者が少ない。そこで、数少ない自立重点ケースに対しての指導はかなり集中的に行われている。Cさんも「軽労働が可能」とされた2007(平成19)年1月以降、ハローワークなどを利用して求職活動をするよう繰り返し指導が行われた。果たして、どこまでCさんに効果的であったかは、疑問が残る。ケースワーカーなどの口頭指導を繰り返すのみでは、効果が期待できないだけでなく、かえって意欲を失わせる結果になる場合もある。Cさんの日記の中にも、反感を感じていることをうかがわせる部分があった。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』24ページ)

 その通りだろう。「言えば従う」という発想ではダメ。

小山進次郎著 生活保護の解釈と運用・第一条【趣旨】(四)

 最低生活の保障と共に、自立の助長ということを目的の中に含めたのは、「人をして人たるに値する存在」たらしめるには単にその最低生活を維持させるというだけでは十分でない。凡そ人はすべてその中に何等かの自主独立の意味において可能性を包蔵している。この内容的可能性を発見し、これを助長育成し、而して、その人をしてその能力に相応しい状態において社会生活に適応させることこそ、真実の意味において生存権を保障する所以である。社会保障の制度であると共に、社会福祉の制度である生活保護制度としては、当然此処迄を目的とすべきであるとする考えに出でるものである。従つて、兎角誤解され易いように隋民防止ということは、この制度がその目的に従って最も効果的に運用された結果として起こることであらうが、少くとも「自立の助長」という表現で第一義的に意図されている所ではない。自立の助長を目的に謳つた趣旨は、そのような調子の低いものではないのである。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』25ページ)

 これは中間報告の中の引用文。小山進次郎さんは『1950(昭和25)年の生活保護法制定当時、厚生省保護課長をしていた』らしい。そして「生活保護の解釈と運用」は『生活保護法の解釈のバイブル的評価をうけている』らしい。それはそうだろう。日本国憲法もそうだけど、作った人の意図を無視してはいけない。

 「面接業務手引書」は、面接業務の標準的内容を示すことを目的に1982(昭和57)年に市が独自に作成し、1987(昭和62)年、さらに1998(平成10)年と改訂を重ねてきた。
 それによると、面接の手順は「導入」に始まり、ニーズの確認、保護要件等の説明、保護要件の検討、申請意思の確認、申請手続の指導という順で説明されている。ここでは、保護要件を検討した後に、申請意思の確認を行うことになっており、扶養義務者の扶養の有無や資産の保有状況などを聞き取ったうえで、「一応」保護要件があると判断される者に、申請意思の確認を行うことになっている。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』30ページ)

 保護要件の確認は申請の後でしょう(『生活保護法 第二十四条』)。順番が逆である。

 生活保護受給の「入口」と言われるこの申請前相談の段階で、保護要件の確認に必要以上にこだわったうえでしか、申請意思の確認をしないというような運用を生じさせているのではないかとの疑問がもたれていた。
 検証事例で指摘したように、明らかに保護要件のない人に対してはともかく、そうでなければ、申請の意思表示があった人に対しては、保護要件にこだわることなく申請書を渡すなど、指導をするという原則を確認しなければならない。
『北九州市生活保護行政検証委員会中間報告書』30ページ)

 その通りだろう。申請の意思表示があったら申請書を渡さないとダメだろう。

 そして、中間報告の34ページから『第4 提言〜信頼と安心の生活保護行政に向けて〜』が書いてある。既に長くなり過ぎたので引用しない。中間報告書を読んでほしい。

 この中間報告書は北九州市の職員や市民だけでなく、他の自治体の職員も読んだ方が良いだろう。


タグ:生活保護
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