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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

国民の生存権を確実に保障するためには?

 以前に書いた【生活保護:勤労収入と総収入】に載せた勤労収入と総収入の関係を表したグラフのように、生活保護を受給している間は働いても総収入は大して増えない。働いた量に見合った分の増加がない。それは生活保護制度が「生活するために足りない費用を支給する」という仕組みになっているからである(生活保護法 第八条「基準及び程度の原則」)。勤労控除(基礎控除)はあるが保護費は働けば働くほど減らされる。そこで、全ての国民に最低生活費を最初に支給してしまってはどうかと考えたことがある(【国民の生存権を確実に保障するためには?】)。現在の生活保護制度では下の図の(a)のようになっているが、(b)のようにしたらどうかと思ったのである。

最低生活費を最初に支給する仕組み

 勤労収入の黄色い直角二等辺三角形が国から支給される最低生活費の上に乗っている。最低生活費が支給されていても働けば働くほど総収入が増える。その場合、雇用主が労働者に支払う給与は現行制度から最低生活費を引いた額で良い。最低生活費に相当する額は国に税金として支払う。したがって雇用主の負担額は変わらない。詳しい仕組みは【国民の生存権を確実に保障するためには?】に書いてある通りである。

 後に、ベーシック・インカム構想の存在を知り(参照)、【国民の生存権を確実に保障するためには?】と基本的な考えが似ているように思ったのだが、ベーシック・インカムについては詳しく勉強しているわけではないので、どこまで似ているか分からない。
 実は、上の図の(b)のような仕組みは今の日本でも部分的に導入されている。全ての国民に支給されるわけではないが、年金や一部の手当てがそうである。「20歳前に傷病を負った人の障害基礎年金」以外では所得制限(参照)はなく、年金を受給していても働けば働くほど総収入が増える。働いて稼いでいるからといって受給額が減らされることはない。所得制限がなく全ての人に支給する点では新設される「子ども手当」の当初案も似た考えかもしれない。高齢者には「年金」、就労前の子には「子ども手当」という感じである。ただ、この記事を書いている時点(2009/12/21 00:41)では所得制限が設けられる見通しで、1998/11/12の時点の『民主党の所得減税と「子ども手当」創設の考え方について』では児童手当の延長に過ぎなかったようである(2006/03/03の案では所得制限なし。追記:2009/12/22の朝刊によると所得制限を設けない方針に戻ったらしい)。

 さて、上の図の(b)のような仕組みにすると働かなくなる人が増えるのではないかという懸念があるような気がする。確かに働いてお金を稼ごうとする人は減るかもしれない。給与を貰えば貰うほど収入が増えるのだが、ほどほどの生活で満足している人たちはお金を稼ごうとしなくなるのかもしれない。しかし、人は働かずに生きられるのだろうか。働かないと食費が足りなくなって生きられないということではなく、働かずにいると死にたい気持ちが強くならないだろうか。
 労働の定義の問題が絡むが、今の社会でも働いている人が必ずしも金を稼いでいるとは限らない。例えば専業主婦は金を稼いでいるのだろうか。彼女たちは働いていないのだろうか。違うだろう。彼女たちは金を稼いでいないが働いている。他にも金を稼ぐ目的以外で働いている人たちはたくさんいる。彼らは誰かの役に立とうとして働いている。本心では自分のために行動しているとしても誰かの役に立つような行動をしていれば、それは働いていることにならないだろうか。
 「私には生きている価値がない」という言葉を何度も目にする。その裏には「誰かの役に立ちたい」という思いがあるのではないだろうか。自分を振り返ってみて誰の役にも立っていないように見えるから「私には生きている価値がない」と思うのではないだろうか。ヒトは誰かの役に立ちたがる生き物なのかもしれない。無職だが今のところは生活に困っていない私にも「誰かの役に立ちたい」という思いはある。老衰で死ぬまで生活費に困らない状態なら無給でも誰かの役に立つ仕事がしたいと思っている。誰かのために何かをして、その人が笑顔になれば嬉しいし、もっと続けたいと思う。誰かの役に立っている実感が持てたら嬉しい。そんな人は小数派なのだろうか。もちろん、自分が誰の役にも立っていないように感じても、私は「私には生きている価値がない」とは思わない……思わないようにしているが…。

 ところで、上の図の(b)のような制度が実現して一時的に働かなくなる人が増えても結局は皆が働きたがり働くようになったとしたら、それで良いのだろうか。安心できるのだろか。【国民の生存権を確実に保障するためには?】を書いた時は気にしなかったが、その仕組みは政府に生命を握られているような形である。政府が突然「お前には最低生活費を支給しない」と決めたら、その人は生活費を失い、生きていくための食料が買えなくなる。当時は「民主主義国家でそのようなことがあるわけはない」と政府に対する信頼のようなものがあったのだが、最近は怖さを感じる。生活保護が必要なのに保護費が支給されずに死んだ人がいた。生活保護の受給を途中で打ち切られた人もいた。国会議員や地方議員が選挙で選ばれるような民主主義国家でもそのようなことが起こる。特定の人を対象に意図的に行なったことではないが、政府に頼りすぎることの怖さを感じる。政府に頼らずに済めばその方が良い。ニュースを見ていると政府に頼ろうとしている人たちがたくさんいるようである。それは正しいことなのかもしれないが、政府に頼らずに済む方法を模索することも必要なのかもしれない。政府に対して「カネはいらないから、私たちの邪魔をするな」と言える方法が見つかったら、それが一番良いのかもしれない。難しいのかもしれないが…。

追記(2009/12/22):
 ベーシック・インカムに関するリンク。


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