SSブログ
RSS [RSS1.0] [RSS2.0]
共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

その公平は本当に公平?

『<障害者自立支援法>今国会に提出 新法の背景と課題』(毎日新聞、2005/2/13)を読んで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050213-00000006-mai-soci
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050213k0000m040113000c.html
次の部分

 応益負担を導入する理由について厚労省は、サービスを利用する人としない人の公平を確保することや、障害者自らが制度を支える仕組みにすることなどを挙げる。しかし障害者の就労状況は厳しく、所得保障が不十分な状況での負担導入に、障害者団体は反対している。

 「応益負担」の問題点は福島智さんの文章が分かりやすいのではないかと思う。
 彼の意見が載っているページのURLは次の通りである。

【福島智「「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」に関する意見書」】
http://www.arsvi.com/2000/0412fs.htm

 この中で、次の譬えが分かりやすい。

■応益負担は「{無実の罪で収監された}刑務所からの保釈金」の徴収に等しい【注】

  国家のもっとも重要な役割のひとつは、国、社会、そして一人一人の国民の安全を守ることだろう。その意味で、重度障害者の多くは、個人レベルでの「安全保障」が脅かされている存在だといえる。
  まず、トイレや風呂、食事といった日常生活動作における支援のニーズは、まさに命に直結する。さらに、それだけでなく、他者とのコミュニケーションや自由な外出ができなければ、人は仮に物理的に生きられても、心理的に、魂の側面で生きづらくなり、最悪の場合は魂が生きる力を失ってしまう。なぜならそれは、たとえば、「刑務所」に入っているようなものだからだ。
  私たちの社会は、犯罪者に罪を償わせるために刑務所において、行動の自由とコミュニケーションや情報アクセスの自由などを奪い、制限するという法制度を持っている。そのあり方や内実の是非はともかく、それが罪の償いになると考えられているということは、すなわち人が生きるうえでこれらの自由の制限がその人に大変な苦痛を与えると私たちが考えているからだろう。そう考えると、障害者は行動の自由やコミュニケーションの自由が奪われているという意味で、いわば「目に見えない透明な壁に囲まれた刑務所」に{無実の罪}で収監されている存在だとも把握できる。
  そこで、この「透明な壁」から抜け出し、解放・釈放されるためには、人的サポートを含めたさまざまな支援が必要だ。障害者がこの「透明な壁の刑務所」に入ったのは無論、罪を犯したからではなく、生まれながらの運命だったり、不慮の事故だったりするわけで、いわば自然災害などと同様、個人の力や責任のレベルを超えたところで生じてしまう事態だといえる。そして、こうした個人の責任を越えた困難な状況を社会全体で支援しようとするのが、本来の福祉施策の原則なのではないだろうか。
  もしそうなら、こうした生きるうえでの基本的な自由を保障するための支援に利用料を求めることは、それはすなわち、障害者が{無実の罪}で閉じ込められたこの「透明な壁の刑務所」から開放されるための「保釈金」を支払うよう、本人や家族に求めることと同じではないか。しかも1回だけではなく、支援を必要とする限り、毎日でもこの「保釈金」を本人や家族が繰り返し支払わねばならないのと同じなのではないだろうか。
(中略)
【注】 本稿で用いている「保釈金」、「刑務所」などのことばは法律用語としては正確ではない。本来、保釈金や保釈請求などは、拘置所に勾留されている被告人に関して生じる問題だが、ここでは、本稿の主旨を鮮明にするために、あくまでも比喩表現として用いている。

*本稿は、2004年12月14日開催の厚生労働省社会保障審議会第22回障害者部会にて、福島智委員が配布した資料である 「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)に関する意見書」を元に、福島氏が若干の加筆・修正を加えたものである。


 1月10日の朝日新聞に『介護保険 改革は急がば回れ』という社説があった。切り抜いて保存していないので、記事がどのような内容か忘れてしまった。その社説を読んだ時の私の意見はインターネット上に残してある。その文章は次の通りである。

この社説は大切なことを忘れていると思う。
具体的な話だと分かりにくくなるので以下では譬え話にする。
10000円持っている人が100円の物を買うのと、
100円しか持っていない人が100円の物を買うのは違う。
生活のために死なないために他の用途で最低限100円必要だとしたら、
10000円持っている人は100円支払っても気にならないが、
100円しか持っていない人は100円の物を買うことができない。
その100円の物が絶対に必要なものでも買うことができない。
「公平に100円支払え」はそのような問題が生じるのである。
お分かりだろうか?
別の問題を別の譬えで話す。
10000円持っている人が二人いたとして、
死なないために100円あれば十分な人と、
死なないために10000円必要な人がいたとする。
前者から100円を取っても8000円余るが、
後者から100円取ったら死なないためのお金が100円足りなくなる。
すなわち後者は生きることができなくなる。
「公平に100円支払え」はそのような問題が生じるのである。
お分かりだろうか?

 福島智さんの譬えと同じことを言っているつもりであるが、福島智さんの譬えの方が分かりやすいかもしれない。福島智さんの意見書には上記引用の譬えの後に具体的に意見が述べられている。全文引用したいくらいである。ぜひ読んでほしい。


タグ:自立支援法
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(16) 
カテゴリー:ニュースを見て
共通テーマ:ニュース

読者の反応

nice! 0

sonet-asin-area

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 16

トラックバックの受付は締め切りました