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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

国が障害者を社会的弱者にした

『[解説]障害者自立支援法成立…低所得者への配慮さらに充実を』(読売新聞、2005/11/1)を読んで
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20051101ik04.htm
次の部分

 日本ではこれまで、障害を持つ人は、就労や社会参加は難しいとする発想が根強く、施設で24時間保護する福祉が主流になっていた。2003年度に、福祉サービスを障害者本人が選んで利用する支援費制度が始まったが、ほとんどの人が自己負担なしでサービスを受けるなど、「社会的弱者に福祉を施す」という姿勢は払しょくされなかった。

 これに対し自立支援法は、サービスを利用する際、原則1割の自己負担を求めた。医療や高齢者介護と同様に、利用料を支払うことで、サービスを提供する側と対等の関係で、堂々と利用できるようにするためだ。また、障害があっても働ける能力や技術を身につけるため、就労支援事業も充実させた。
(2005年11月1日 読売新聞[解説])

 障害者が「社会的弱者」となっているのは国に責任がある。障害者が社会的弱者とならない国にしなければいけないのに、国はそれを怠り、障害者を社会的弱者にしてしまった。「国」は加害者であり「障害者」は被害者である。障害者福祉は国による障害者に対する賠償のようなもの。被害者が加害者にお金を払って賠償してもらうのは変である。したがって障害者は自己負担なしで支援を受ける権利がある
 ただし、「国」は「国民」によって作られ、「国民」の中に「障害者」が含まれるから、障害者は他の国民と同じように負担する必要がある。障害者以外の国民が税金を納めているのなら障害者も税金を納める必要があり、障害者以外の国民が保険料を納めているのなら障害者も保険料を納める必要がある。注意が必要なのは、同じ額の「税金」や「保険料」を納めるわけではないということ。納める額が異なることは社会的に容認されている。「所得の再分配」という考え方があり容認されていることに注意が必要である。したがって低所得者の負担が軽くても問題ない。障害者が低所得者である場合は、「税金」や「保険料」の負担が軽くても問題ない。納める必要がない場合があっても問題ない。
 障害者は自己負担なしで支援を受ける権利があるが、他の国民と同じように所得など支払い能力に応じて「税金」や「保険料」を納める必要がある。障害者に対する支援の費用は、全額、その「税金」や「保険料」から支払われなければならない。障害者だけに特別な負担を求めてはいけない。障害者は他の国民と同じように負担するだけで良い。
 障害者は自己負担なしで支援を受けても、それは当然の「権利」だから、支援を提供する側と対等の関係で堂々と利用して良い。利用料を支払わなければ対等の関係で堂々と利用できないとしたら、「利用料を支払わなければ対等の関係で堂々と利用してはいけない」と考えている人たちに問題があり、そのような雰囲気を作り出した人たちに問題がある。そのような雰囲気が誤りであることに気付かない人たちに問題がある。彼らは改める必要があり、報道機関はその誤った雰囲気を強化してはいけない。
 障害者が「社会的弱者」となっているのは、障害者に責任があるのではなく、国に責任がある。障害者が社会参加しにくい社会にしてしまった国に責任がある。国の一員である国民はその責任を自覚する必要がある。その自覚がないと誤った福祉政策を容認してしまう。


【障害者自立支援法案に関する私の以前のブログ記事】


タグ:自立支援法
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yadokari

昔、司法試験の選択科目で、社会政策というものが有りました。
法によらざる、事実上の差別と貧困から、犯罪・非行などに追い詰められる人々の救済が論じられる学問です。
時代が変わって、現在社会政策は司法試験科目から消えてしまったみたいです。
社会問題を解決する熱意のある法律家は供給されなくなってしまいました。
残念でなりません。
by yadokari (2005-11-03 00:45)

正己

yadokariさん、コメントありがとうございます。
「社会政策」という選択科目が司法試験にあったことを知り驚きました。復活してほしいような気がします。復活すれば弱者に優しい法律家が増えそうです。
by 正己 (2005-11-03 01:23)

itochan

みんなで入ってしまった高級料亭。
  (他の選択肢なしの場合)
全て社長のおごりだということが店にわかっているなら、
  (社会的に保障されるなら)
社員は財布なしで堂々と飲んで食べていいんですよね。
  (利用する権利がある)

単なる無銭飲食とは意味が全然違います。

「ずるい経理」が、話をすりかえて社員の割り勘にしようとしています。
by itochan (2005-11-05 12:19)

正己

itochanさん、コメントありがとうございます。
少し分かりにくかったです。(^_^;)
一瞬、スパムだと思って削除しそうになりました。(;^_^A)
「社員」は「障害者」で「割り勘」が「利用者負担」で「社長」は「政府」で「店(高級料亭)」は「支援提供事業者」かな?
それなら、少し細かい突っ込みを入れます。(^_^;)
「割り勘」は料金の全てを分割するようなイメージがありますが、実際は「社長」が支払うことになっていたのに、「社長」が貧乏で、不足分を「割り勘」にしようとしているのだと思います。
また、『社長のおごり』だと「社長」のポケットマネーで支払うようなイメージがありますが、実際は会社の経費だと思います。だから「経理」が登場するのでしょうし…。
すると、問題は「社長が一部の人を高級料亭に招待し、会社のお金を使って料金を支払うことになっていた。しかしお金が足りなくて、経理が不足分を出席者の割り勘にしようとした」ということではないかと思います。この譬えだと自分達だけ高級料亭に招待されたことに後ろめたさを感じて不足分は割り勘でも仕方ないと思うかもしれません。(^_^;)
「高級料亭」が「社会」の譬えで「社員」が「国民」の譬えなら、「社長が社員全員を高級料亭に招待したが、会社のお金を使って料金を支払うことになっていた。それを経理が一部の社員に不足分を支払わせようとした」ということだと思いますので、それなら、その一部の人は不足分を支払わずに、堂々と料理を食べて良いと思います。
納得できるように解釈してみましたが、「社長」と「社員」には上下関係があるイメージで、上下関係がなくても「社長」が「社員」に「おごる」構図は、障害者が支援を利用する構図や国民が社会的資源を利用する構図と合わないなぁ、という印象です。官僚はそれらを「社長」が「社員」に「おごる」構図で考えているのかもしれません。だから、会社のお金を使うのに「経理」が支払い方法を決めて何が悪い、と考えるのだと思います。「経理」が決めた支払い方法に従え、と考えるのだと思います。
by 正己 (2005-11-05 13:34)

itochan

うーむ、うまく喩えられませんでしたか。

社長は、社会常識のイメージです。
>障害者は自己負担なしで支援を受ける権利がある。
食べ物は当然会社の経費です。

社員は(慈善じゃなくて)福利厚生として当然食べてよくて
(サービスを利用してよくて)
それを経理がつっぱねる正当な理由はないってこと。

社長(国民)より経理(あの人達)がどれほど偉いのかと。
うまくいえずゴメンナサイ。
by itochan (2005-11-28 14:12)

正己

itochanさん、譬えは難しいです。(^_^;)
なるほど、「社長」は「国民」でしたか…。納得しました。確かに国を会社に譬えたら一番偉いのは国民ですから、国民を社長に譬えるのは分かるような気がします。「会社で一番偉いのは株主だ」とも言えますが…。(^_^;)
by 正己 (2005-11-28 16:35)

yadokari

こんばんわ。最後の書き込みからもう1年近くになるのですね。

さて、多忙にかまけて正巳さんのブログを拝見することができませんでした。
今、itochanさんと正巳さんのやり取りをじっくり読ませてもらいました。

「たとえ」はなかなか解読が難しいです。

ちょっとだけコメントさせてください。

「社員が会社に就職すること」は本人の意思で決定できますね。
また、本人が会社、社長、経理が嫌なら「退職」も簡単です。

しかし、障害者が障害者になったのは本人の意思ではないと思います。
また、障害者は『障害者からの「退職?」』も困難だろうと思います。

このあたりを良く考えないと、国家と会社の違いが分かりにくくなってしまいますね。

お二人のやり取りと一見無関係のように思われるかも知れませんが、日本を含めた近代憲法を採用してる国々では、細かいところは異なれど、必ずその憲法に人権保障規定を置いています。

近代憲法の人権保障規定は、そもそも「いかなる多数をもってしても侵し得ない、自然人・個人の人権」として生まれ、育ち、今日に至っています。
その意味で、近代憲法の人権保障規定は「少数者の権利保障規定」という観点から考えるべきものなのです。
ですから、障害者というカテゴリーに属する少数の方々の人権を「多数決で制限」すること自体が間違いなのです。
そして、少数の方々を救済することも福祉国家の重要な仕事の一つです。
少し専門的ですが、『少数者が社会から受けているマイナス分を国家が補填する』という考え方は、いわゆる『アファーマティブ・アクション』として世界的に合理的とされ、わが国でもそれを規定した法律は多いのです。
『国家による補填分』を削減する方向の議論をする場合にも、その『補填分』は少数者の『失われた人権の補填分』であることから、もともと単純な多数決にはなじまない議論であることに注意が必要だと思います。

『会社』が追求する利益と『国家』が追求す“べき”利益は、もともと異なりますのでご留意いただければと思います。

乱文御容赦ください。

転載可


By yadokari
by yadokari (2006-09-13 01:07)

正己

yadokariさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
譬え話は難しいです。(^_^;)
仮定をいろいろ突け加えれば同型問題にできますが理解しにくくなります。日常会話など勢いが重要な時には少しくらい違っていても仮定なしで説得力を持つのかもしれません。国家を会社に譬える主張を時々耳にしますが、細かく見ればいろいろと異なるので、慎重に聞こうと思っています。
「少数者の権利保障」とか「『少数者が社会から受けているマイナス分を国家が補填する』という考え方」はとても重要だと思います。これについては多くの人は納得していると思うのですが、最近は「余裕がないので…」という理由で制限しようとしているような気がします。多くの人は「施し」という考え方でしょうから。だから「その『補填分』は少数者の『失われた人権の補填分』である」「社会から受けているマイナス分」ということ、補填が国家(国民)の義務であることを理解してもらうことが必要なんだろうなぁと思います。
by 正己 (2006-09-13 11:10)

yadokari

その通りですね。

そして、意外と知られていませんが、国民誰しも『ある日突然少数者(弱者)になることがあり得る』わけです。
ところが、たとえば私が『少数弱者』になった後で、自分の『基本的人権』を主張しても、多くの場合『多数決が少数者の人権主張を退ける』わけですね。
中世の『魔女狩り』など歴史が証明しているところです。

だからこそ、近代憲法は自らを『硬性憲法』と規定し、単純多数決で『改憲』することを許さないわけです。

その限りで、『司法裁判所も多数決を排除』していますね。

『多数決で決定してはいけないこと』も世の中には多いのです。

転載可
by yadokari (2006-09-13 19:34)

yadokari

追伸

これまでに私が書いたコメントの有益な部分は、私の母校の学恩によるところが大きく、また、コメントの中で不十分な点や誤解を招くような記述はすべて私の責任に属することをここに記します。

諸先生方、諸先輩方に深く感謝申し上げます。

転載可
by yadokari (2006-09-13 20:30)

正己

yadokariさん、引き続きコメントありがとうございます。
みんな自分も『ある日突然少数者(弱者)になることがあり得る』と思ってくれればなぁと思っています。「なったらなったでなった時に考えるさ」と思ってしまって、実際にその立場にならないと真剣に考えなさそうですが…。
by 正己 (2006-09-13 22:06)

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