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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

大石氏の証言は信用可?

『もんじゅ自殺訴訟 原告側、遺品のメモで追及』(朝日新聞、2006/2/28)を読んで、
http://www.asahi.com/national/update/0228/TKY200602280221.html
次の部分

 大石氏は「ビデオ問題は1月11日になって報告を受けた」と証言。ところが内部文書には「12月25日、理事長に本件を報告。詳しい事情調査をするようにとの指示」とあった。大石氏は「記憶にない」と繰り返した。

 また、大石氏は「会見前に、12月25日に分かっていたと答えるよう指示した」と証言。山崎勉裁判長は「もしそうなら、会見に同席した理事らをなぜ問いつめなかったのか」と何度も質問したが、大石氏は「直後に出張があったので」と答えた。

 自殺したとされている西村成生氏は1996年1月12日の記者会見で『事故直後に現場を撮影したビデオが隠されていたことへの本社の関与が分かった時期』を1月10日と述べたらしい。しかし、実際には1995年12月25日に分かっていたらしい。なぜ西村氏は1月10日と答えたのか。自分の意思か命令か、それが問題である。
 もしも、西村氏が大石氏(大石博氏、記事中の「理事長」)の命令に反して自分の意思で1月10日と答えたのなら、引用部分の山崎勉裁判長の質問のように命令違反を問い詰めないのは変である。大石氏の証言によると問い詰めなかった理由は「直後に出張があったので」ということらしい。これが本当だったとしたらその態度(大事なことなのに訂正せずに出張するような態度)が問題になるだろうが、西村氏の答が予定通りだったから問い詰めなかったと考えるのが自然だろう。
 その前に、裁判では大石氏の証言を信用できるか否かの判断が重要になるのだと思われる。内部文書(『遺品のかばんの中にあった』らしい)と矛盾した証言(内部文書では12月25日に報告を受けたことになっているのに裁判では「1月11日になって報告を受けた」と証言している)は信用できるか否かの材料になりそうである。「大石氏の証言は信用できない」となれば、問い詰めなかった理由の「直後に出張があったので」も信用できない。「直後に出張があったので」という理由だけでも、とっさに思いついたような幼稚な答えで信用しにくいだろう。
 ところで、記者会見に同席した理事たちも間違いを訂正していない。同席した理事たちは訂正しなかったし、理事長も問い詰めなかったのだから、西村氏が「1月10日」と答えたのは彼らにとって想定の範囲内というか予定通りだったのだろう。

 さて、大石博氏の証言が信用できないとなると、もんじゅ事故からこれまでの彼の言葉も疑ってみた方が良いかもしれない。彼の支配下にあった人たちの言葉も疑ってみた方が良いかもしれない。


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