裁判員がPTSDになっても許してね?
『裁判員の心のケア、5回まで無料に…最高裁』(読売新聞、2009/6/15)を読んで
裁判員裁判で悲惨な事件の審理に参加し、精神的なショックを受けた裁判員らの心のケアを充実させるため、最高裁は、臨床心理士らによるカウンセリングを5回まで無料で受けられるようにする方針を決めた。
(中略)
最高裁は「裁判員の心のケアは、陪審制や参審制を導入している国と比べても遜色(そんしょく)ない対応になると思う」としている。
(「裁判員の心のケア、5回まで無料に…最高裁」読売新聞、2009年6月15日07時08分)
カウンセリングを受けられないよりは受けられた方が良い。5回では不十分だと思うけれど無いよりは良い。
しかし「最高裁の考え方は変だ」という思いは消えない。
精神的なショックを受けるかもしれないことを強制することを問題だとは考えないのだろうか。裁判員制度が始まる前、裁判官も検察官も弁護士も証人も傍聴人も、その他、被告人以外は全て自分の意思で法廷にいたはずである。しかし、裁判員は自分の意思ではなく強制的に精神的なショックを受けるかもしれない法廷に呼ばれる。そのことを変だとは思わないのだろうか。裁判員がいなくても裁判はできるはずである。わざわざ一般市民を裁判員制度の被害者にしなくても良い。一般市民の心を傷つける必要はない。『裁判員を務めたことで心的外傷後ストレス障害(PTSD)などになったと認定されれば、国家公務員災害補償法に基づいて補償も受けられる』ようだが、安全配慮義務違反で損害賠償を受けることは無いのだろう。いや、国家公務員災害補償法に基づいて補償を支払ったとしても、安全配慮義務違反で損害賠償金を支払ったしても、精神的なショックを受けるかもしれないことを強制することが正当化されるとは思えない。精神的なショックを受けるかもしれないことを候補者に伝えた上で、候補者が自分の意思で裁判員になるのなら仕方ないかもしれない。しかし、強制することが正しいとは思えない。強制的に裁判員にして心を傷つけることが正しいとは思えない。「傷つけようとする意思は無かった」と自己弁護するかもしれない。しかし、傷つけるかもしれないことを自覚していながら強制的に裁判員にするのだから、やはりそれが正しいとは思えない。
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