敵の味方は敵
『1 世の中を見る目、人を見る目(1)バランス理論』(心理学総合案内こころの散歩道)を見て
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/01ninchi.html
ハイダーのバランス理論(「認知的均衡理論」が正式名称かもしれない)について解説している所を探してみた。リンクフリーの所では碓井さんの所が一番良いような気がした。わざわざ他人のサイトを探さなくても、私のサイト内にも解説している所があるのだから、そこにリンクを張れば良いのだが、このブログが「インターネット上の他人の意見を読んで思ったこと」という建前なので、無理矢理探してみた。(^_^;)
でも、碓井さんのサイトの解説は理解しやすい文章で書かれているので、私の解説を読むより良いだろう。
私がハイダーのバランス理論を確認したくなったきっかけは「敵の味方は敵」という状況を頻繁に見かけるような気がしたからである。碓井さんの所にはいくつかの例の中で「敵の敵は味方」があげられていたが、他のサイトも「敵の敵は味方」を例にするのが一般的なようだが、私が気になったのは「敵の味方は敵」という状態である。
太郎君と次郎君と三郎君がいたとする。太郎君と次郎君は仲良しである。太郎君は三郎君のことが嫌いである。ある時、次郎君が三郎君と仲良くお喋りしていた。太郎君はどうするだろうか。
(1)三郎君とも仲良くなる。
(2)次郎君に「三郎君と仲良くするな」と言う。
(3)次郎君のことを嫌いになる。
私が気になった「敵の味方は敵」は(3)である。三郎君は太郎君にとって「敵」である。次郎君はどうやら三郎君(敵)の「味方」になったようである。それで「敵の味方は敵」ということで次郎君も「敵」になった。
三人の関係なら可愛いものである。これに他の人が加わるとどうなるか。
四郎君は太郎君と仲が良い。五郎君も太郎君と仲が良い。六郎君も七郎君も八郎君も九郎君も太郎君と仲が良い。バランス理論だと「味方の敵は敵」だから、次郎君と三郎君は太郎君だけでなく四郎君にとっても五郎君にとっても六郎君にとっても七郎君にとっても八郎君にとっても九郎君にとっても「敵」である。次郎君と三郎君は少数派となり「いじめ」の対象となる。
次郎君はどうするだろうか。
(1)三郎君と仲良しのまま太郎君と仲良くなろうとする。
(2)太郎君たちに嫌われたままでも三郎君と仲良しでいる。
(3)三郎君と別れて太郎君と仲良くなり、三郎君を虐めることにする。
残念ながら(3)が多いだろう。
そもそも次郎君は三郎君と仲良くしただろうか。「敵の味方は敵」である。太郎君の「敵」と仲良くなれば自分も太郎君の「敵」になる。それが怖かったら三郎君と仲良くしないだろう。
そんなわけで、多くの人は「みんなに嫌われているな」と思われる人の所には近づかない。「みんなに嫌われているな」と思われる人の「味方」と思われないように気をつける。悲しいけれど、そういうものだろう。
ここまで書いてきたが、「敵」とか「味方」とかで考える場合はバランス理論を持ち出すまでもないかもしれない。ちなみに、「味方の味方は味方」である。「友達の友達は皆友達だ。世界に広げよう、友達の輪」と同じだろう。一番平和的な状態である。そもそも「敵」と「味方」しかない状態だと悲しい。
最後に、せっかくだから、以前に作った私のページへのリンクも張っておく。
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