共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
2004.12.15 10:25
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら
ゆうきゆうさんの「拒否させてOKさせる!? (前編)」を読んで
http://blog.ameba.jp/yuki/archives/000355.html
次の部分
また、たとえ実践的なテクニックを学んだとしても、実際にそれを誰かに使うのは、 どこかしら「後ろめたさ」があるはずです。それはやはり心のどこかで「サギっぽい」と考えていたり、また万が一相手に「それって○○って心理テクニックじゃない?」なんて言われたときのことを極度に恐れていたりするためです。
これは正常な感覚だと思う。そのように思っている人に私は魅力を感じる。心理テクニックは「娯楽」で良いと思っているが、私としてはゆうきゆうさんのような人達が紹介している心理テクニックを知って、心理テクニックに騙されないようになってほしいという思いが強い。自分が使うのではなく、他人に使われても大丈夫な状態になってほしい。
ただ、私は以前、あるメーリングリストでこんなことを書いたことがある。
日常生活で人に関わること全てが心理学的に説明できるわけではないのですが、説明できる現象もあるわけです。他人の行動を見ていて、
「あっ、あの現象だな。ああすればこうなって良いのにな。」
とかが、なんとなく分かるわけです。自分の行動も、
「あっ、あの現象が起こっていてこのままだとまずいから、こうしよう。」
のように修正してトラブルを未然に防いだりすることもできるわけです。
でも…。
その様に心理学の知識を意識的に応用できるのは当事者を客観的に観察できる時なのですよね。だから、自分が当事者の時は観察する自分を分離する必要があるわけで、これができないと、日頃の知識はどこへやら、心理学的に説明できる困った現象に翻弄されるままになるわけです。そして、後になって「あーあ」って…。(^^;
でも…。
これを逆に(対偶を)見ると、自分に関わる現象をその場で心理学的に考察できるということは、その現象に完全にのめり込んでいない、一歩引いている状態にあるわけですよね。相手が人の場合には親密さが足りないことを表しているように思えるのです。これも、なんだかなー、と思うのです。のめり込むか、冷静でいるか?
「踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損、損。」
とは言いますが…。
さて、この記事を読んでいるあなたはどちら?
心理テクニックに関する意見ではなく「心理学の応用」に関する意見なのだが、心理テクニックに騙されまいとするのは「見る阿呆」のようで詰まらないかもしれない。相手が心理テクニックを使っていることを承知で「踊る阿呆」になる生き方の方が楽しいかもしれない。(^_^)
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