恥ずかしくない?
『女子まぐ!人生岐路岐路クリニック:部屋を片付けることができません…』を読んで
http://woman.mag2.com/kirokiro/
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次の部分
大切なのは、とにかく「ものすごく恥ずかしい」体験をすること。
人間は、明らかに自分の命やプライドや、限りなく強い心の動きでもない限り、自分の行動を変えることはありません。
残念ながら、そうなのだと思う。
この記事は部屋を片付けることができない人に対するアドバイスであるが、他のことにも応用できる。部屋に置いてあったエロ本を彼女に見られて恥ずかしい思いをしたからエロ本を見ないことにするとか…。そんな人はいないかな。(^_^;)
汚い部屋もエロ本もそうだが「恥ずかしい」と思わなければ改めにくい。数年前から話題になっている「荒れる成人式」。私は恥ずかしくてあんなバカなことはできないのだが、彼らにとっては恥ずかしい行為ではないのだろう。なんで恥ずかしいと思わないのだろうか。汚い部屋やエロ本は見た人が特別な反応をせず受容的だったら「汚い部屋でもいいんだ」「エロ本を見てもいいんだ」「恥ずかしがる必要はないんだ」と思って改める気にならないだろう。成人式でバカなこと(私にとっては恥ずかしいこと)をする彼らも同じだろうか。そんな彼らの行為が受容されているから恥ずかしいと思わずにあんなバカなことをするのだろうか。
犯罪者は犯罪行為を恥ずかしいと思っていないのだろうか。逮捕された時にうつむく人は恥ずかしいと思っているのかもしれない。犯罪行為ではなく逮捕されたことが恥ずかしいのかもしれないが…。逮捕されても堂々と顔を上げてカメラに笑顔を向けている人もいる。恥ずかしくないのだろう。私は犯罪行為自体が恥ずかしい。誰も見ていなくても、犯罪行為をする自分を情けなく思うだろう。それが一つの抑止力になっている。
嘘を吐く人は嘘を吐くことを恥ずかしいと思っていないのだろうか。橋本派の1億円事件は誰かが嘘を吐いているはずで、NHKの番組改変問題も誰かが嘘を吐いているはずで、嘘を吐いている人たちは恥ずかしくないのだろうか。私は恥ずかしい。嘘がばれなくても、他人のためではなく自分を守るために嘘を吐いてしまったら、そんな自分を情けなく思う。それが一つの抑止力になっている。
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