自分の頭で考えよう
『田口ランディブログ:アメーバ的日常: くねくね』を読んで
http://blog.ameba.jp/randy/archives/000447.html
次の部分
「だから、そういうふうにずばっと白黒はっきりとできないから、悩んでるわけで」
「はっきりしてもらわないと困るのよ」
「だれが?」
「わたしがよ」
「なんで?」
「イライラするのよ」
友人の気持ち、分かるような気がする。(^_^;)
でも、それは問題があるような気もする。
なんではっきりしてもらわないとイライラするのだろうか。友人の場合ではなく一般的な場合を考えると、私が思いつく理由は三つ。反論したくてうずうずしているのに反論しにくい。賛成したいのに賛成しにくい。田口ランディさんを教組として崇めていて彼女の意見に従いたいのだが、どのように従ったらいいのか分からない。二つめと三つめは同じかもしれない。三つの共通点は他人の意見がなければ自分の意見が構築できない、ということだろう。他人がどのように考えていようと自分の意見を組み立てることはできるはずである。他人が白黒はっきりとできなくても既に自分の意見があるのなら気にする必要はないはずである。しかし、気になるのだろう。
上記記事の友人は違うと思うのだが、誰か尊敬している人の意見に従いたくてはっきりして欲しいと思っている人がいたら大いに問題がある。
先日、安斎育郎さんがNHK人間講座「だます心、だまされる心」の第5回『「だまし」の社会現象〜政策誘導のための「だまし」』の最後に騙されないために心掛けるべき三つのことを仰っていた。その中の一つとして「主体的に(自分の頭で)考えることを放棄しない」というのがあったように思う。興味のある方、正確な情報を得たい方は1月19日午前5:05からの再放送を御覧になって欲しい。
「尊敬している人の意見に従いたい」という思いは「主体的に考えることの放棄」である。尊敬している人が何を言おうが自分の頭で考えて反対だと思ったら反対する。それができないと、簡単に騙される。ほとんどの人が「尊敬している人の意見に従いたい」と考えるようになったら所謂カリスマに言動が引っ張られてカリスマの望む世の中になってしまう。カリスマに問題がなければ良いが、この世に完璧な人は存在しない。間違ったことをすることもある。その時は異議を唱えなければならない。政界のカリスマは誰か。ブログ界のカリスマは誰か。自分のコミュニティーのカリスマは誰か。彼らに自分の言動が引っ張られていないか。自分に問いかけてみる必要があるだろう。
追記:
そう言えば最近は某占い師がカリスマ化している傾向がありますな。私の身近な女性二人も彼女の本を数冊いっぺんに買ったり彼女が出演するテレビは必ず見たりしているようで…、嘆かわしい。(−−)
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