人間なのに…
『彼は人なり、我らも人なり、我何ぞ彼を畏れんや。〈韓愈〉』を読んで
http://plaza.rakuten.co.jp/socialsecurity/diary/2005-01-26/
次の部分
両方の印象的なことに言えるのは、人間なのに人間としての扱いをされないことに傷ついていた。
この記事には『社会保障ニュース』を運営している方の「精神障害者小規模作業所」と「特別養護老人ホーム」での実習感想文の前文が掲載されている。コメントできるのは「楽天広場」の人だけのようなので、トラックバックさせていただく。
実は私も精神障害者授産施設での実習経験があるが、ユーザーの私に対する親切な心に涙が出そうになった。彼らが悩みを話してくれるほど親しくはなれなかったが、職場(前職)のあまりよろしくない雰囲気に嫌気がさしていた私にとっては彼らの親切が嬉しかった。例えば、私が作業(ユーザーと同じ作業)をしていた時、やり方が分からなくて戸惑っていたら、後ろで作業していた人がすぐに教えてくれた。彼らには私に教える義務はないのだが、私のことを気にかけてくれていたようである。見守ってくれていたようである。戸惑う度に教えてくれて、「尋ねられなくても教える」ということが自然に行なわれていた。やがて「質問しても迷惑じゃないのかも」と思い、分からないことがある度に彼らに質問するようになった。その度に親切に教えてくれた。書いてみると彼らは当たり前のことをしているようだが、今の社会ではその当たり前のことがあまり行なわれていないのではないだろうか。誰かが困っていても見て見ぬふり、誰かに助けを求められても「忙しい」「面倒だ」などの理由で助けない。そんな社会になっているのではないだろうか。
さて、上記引用部分についてであるが、その通りだと思う。私の実習先では分からなかったが、テレビや新聞などで見聞きする認知症(旧称痴呆症)の老人に対する施設職員の行動を見ていると一人前の大人として接するのではなく「管理」する対象として扱っているように感じた。もちろん、最近では良質な施設についても報道されているので、全ての施設に問題があるわけではないだろう。そもそも食事の時間、風呂の時間、トイレの時間が決められているとしたら異常である。記事にも『勝手にトイレへ移動させたりする職員』と書かれているが、おそらく「今のうちにしておけ」というような感じでトイレに連れて行かれたのだろう。その後にトイレに行きたくならないようにするために、小便や大便をしたくなくても半強制的にさせられるような状況なのではないだろうか。そんな話をどこかで聞いたことがあるような気がする。異常である。実際に見たわけではなく、報道などの情報を見聞きした記憶を頼りに書いているので真偽は分からないが…。もう一つ、精神病院での投薬管理に関して、次のような話を聞いたことがある。患者を一列に並ばせて、職員の前で一斉に飲ませる。その話を聞いた時、「そこは刑務所かよ!」と思った。なんか変である。それも4年くらい前の話で記憶が曖昧なのだが…。
とにかく、人間なのに人間として接してもらえていない現状は改善する必要があるだろう。そもそも、そのような現状をどれくらいの人が知っているのだろうか。知った人は「そのままで良い」と思うだろうか。もしも「改善するべき」と思う人が多いとしたら、まず、そのような『人間なのに人間としての扱いをされない』状況であることを知ってもらう必要があるのではないだろうか。そうすれば、「改善するべき」と思う人たちの声の力で改善されるのではないだろうか。
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