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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

過労自殺の労災:トヨタ−2

『下級裁判例 事件番号「平成13(行コ)28」豊田労基署長遺族補償年金等不支給処分取消』を読んで
次の部分

 (なお,判断指針は,現在の医学的知見に沿って作成されたもので,一定の合理性があることが認められるものの,当てはめや評価にあたっては幅のある判断を加えて行うものであるところ,当該労働者が置かれた具体的な立場や状況などを十分斟酌して適正に心理的負荷の強度を評価するに足りるだけの明確な基準になっているとするには,いまだ十分とはいえず,うつ病の業務起因性が争われた訴訟において,この基準のみをもって判断するのが相当であるとまではいえない。また,相当因果関係の判断基準である「社会通念上,当該精神疾患を発症させる一定以上の危険性」について,原判決が誰を基準として判断するかを問題とし,[1]「同種労働者(職種,職場における地位や年齢,経験等が類似する者で,業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者)の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である」とし,したがって,[2]「専門検討会報告書及び判断指針の見解は採用できない」としており,専門検討会報告書及び判断指針は[1]の基準とは異なるものとする理解が示されているが,このような理解は,専門検討会報告書及び判断指針が想定する同種の労働者の具体的な内容が,性格やストレス反応性につき多様な状況にある多くの人々についてどの程度の脆弱性を基準としているのかが明らかではないことから生じた誤解のようであり,専門検討会報告書をとりまとめた委員会の座長を務めたW医師の当審における供述及び陳述書(乙第25号証)によれば,通常想定される範囲の同種労働者の中で最も脆弱な者を基準にするという考え方は,専門検討会や判断指針と共通するものであると認められる。さらに,控訴人の主張する平均人基準説も,平均人としてどのような者を想定しているのかが必ずしも明らかではなく,平均という言葉が全体の2分の1程度の水準を意味するものと理解することも可能ではあるが,判断指針と同程度の水準を想定しているのであれば,前記[1]の見解と大差はないものと考えられる。)
『事件番号「平成13(行コ)28」名古屋高裁判決』

 【過労自殺の労災:トヨタ−1】の続き。

 これを読んだ時に最初に変だと思ったのは『専門検討会報告書をとりまとめた委員会の座長を務めたW医師の当審における供述及び陳述書(乙第25号証)によれば』の部分。判決文に『W医師の陳述書(乙第20号証,第25号証)及び証言の骨子』が書いてある。

(5)W医師の陳述書(乙第20号証,第25号証)及び証言の骨子
原判決が,亡Aの性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではなかったと認められることのみを根拠として,亡Aそのものを基準として業務の過重性を判断すれば足りるというのであれば,それは,業務の客観的過重性を判断するものではなく,顕在化していなかった個体側の脆弱性あるいは今回の発病の時期に生じた個体側反応性の内在的変化について,全く理解していないものである。乙第20号証で詳述したとおり,本件における業務上の心身の負荷が,客観的にみて,うつ病をひきおこす主要要因となるほど強くないと判断した。原判決は,検討会報告書及び判断指針について,心理的負荷の客観的判断基準は,それが通常想定される範囲内を考えて作られたものであって,その中の最も脆弱性のある者をも含めて立案されていることが理解されていない。
『事件番号「平成13(行コ)28」名古屋高裁判決』

 私には高裁判決のようには読めなかった。W医師は地裁判決を批判しているし、『心理的負荷の客観的判断基準は,それが通常想定される範囲内を考えて作られたものであって,その中の最も脆弱性のある者をも含めて立案されている』とは書いてあるが、『通常想定される範囲の同種労働者の中で最も脆弱な者を基準にする』とは書いてない。そして、高裁判決後の厚労省の通達【精神障害等事案の高裁判決に係る留意事項について】(PDF形式)にも次のように書いてある。

 この部分の記述については、論旨が不明なところもあるものの、判決に引用されている陳述書において専門検討会の座長を務められた原田憲一医師は、業務上の負荷について誰を基準として考えるかについては『通常想定される範囲内』という幅の中で、その中の最も脆弱な者を含めての基準である点では、一致しています。したがって、(原)判決が上記の文に続けて『専門検討会報告書及び判断指針の見解は採用ずることができない』と述べているのは、理解できません。明らかに、裁判所の誤解と考えます。」としている。すなわち原田医師は判断指針の職場における心理的負荷評価表の強度の前提には最も脆弱な者を含んでいると主張しているのであり、最も脆弱な者を基準として判断するということを陳述している訳ではない。したがって判決は、最も脆弱な者を含んでいる基準という意味で、原審も国の考えも大差がないと判示したものと解され、このことは上記1で述べた具体的なストレスの評価の考え方によっても認められる。
『基労補発第0731001号「精神障害等事案の高裁判決に係る留意事項について」』

 私もW医師(原田憲一医師)は『心理的負荷評価表の強度の前提には最も脆弱な者を含んでいると主張しているのであり、最も脆弱な者を基準として判断するということを陳述している訳ではない』と思った。高裁判決の誤解だろう。しかし、W医師にも誤解はあり、地裁判決では『同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とする』と判断したのであって、基準を作る際に『同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者』が含まれていれば良いと判断したのではないだろう。あるいは、W医師は「判断指針に従えば『同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者』が含まれる」と考えていて、厚労省がW医師の陳述を自分達に都合の良いように解釈しているのか。次の『W医師らによる心理的負荷に関する専門検討会の意見書の骨子』を読むと、W医師の陳述に関しては厚労省の解釈が正しいように思える。

(3)W医師らによる心理的負荷に関する専門検討会の意見書(乙第11号証。以下「専門検討会意見書」という。)の骨子
 亡Aは,昭和63年7月末ころから,主として睡眠障害,自律神経失調症状を主徴とする精神・神経症状が現れ,同年8月になってからは仕事の不安,将来への不安が生じ,同月25日には自殺念慮も出現していることから,自殺直前にはICD−10分類F32うつ病エピソードを発病していた蓋然性が高いといえ,亡Aの自殺は,そのような異常心理の中で行われたものであると判断する。
 しかし,亡Aの業務による心理的負荷が客観的に精神障害を発病させるおそれがある程度に強いとは判断できない。また,業務以外の出来事もそれのみで精神障害を直接発症させるほどの強度とは考えにくい。このような場合,精神医学的経験上,亡Aの心理面の脆弱性が本件うつ病エピソードの発病の主な役割を果たしたというべきである。
『事件番号「平成13(行コ)28」名古屋高裁判決』

 これは、『性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内』の亡Aにとって心理的負荷が強くても、同種の労働者の多くにとって同じ業務による心理的負荷が強いと判断されなければ、労災とは認められないということである。『性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内』の『同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者』が基準に含まれているとは考えにくい。

 ごちゃごちゃしてきたので単純化してみる。
 まず、「ストレス−脆弱性」理論を念頭に置く必要がある。

 「ストレス−脆弱性」理論とは、環境からくるストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方である。ストレスが非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生ずる。
『精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告の概要』

 この「ストレス」の強さというのは客観的に見たストレスの強さのことである。厚労省の主張する「平均人基準説」の「一般人」にとってのストレスの強さである。『多くの人々が一般的にはどう受け止めるか』という意味でのストレスの強さのことである。『一般的にはどの程度の強さの心理的負荷と受け止められるか』というストレスの強さのことである(参照)。
 さて、通常想定される範囲内で最も脆弱な人(弱者)の脆弱性を「9」として、最も強い人(強者)の脆弱性を「1」として、平均(一般人)の脆弱性を「5」として、「ストレス」と脆弱性の合計が「10」に達すると発病すると仮定すると、弱者にとっては「ストレス」の強度が「1」でも発病し、強者でも「ストレス」の強度が「9」であれば発病する。一般人の場合は「ストレス」の強度が「5」で発病する。
 もしも「弱者」が基準に含まれていれば、「ストレス」の強度が「1」でも「弱者」なら労災が認められるようになっているはずである。しかし、実際は「ストレス」の強度が「4」の業務で発病したら、それは脆弱性が「6」以上であったことが原因であるとして、労災は認められない。それが「亡A」のケースである。労働者の脆弱性は無視されて、どんな労働者でも、「ストレス」の強度が「5」以上でないと労災は認められないのだろう。

 少し、視点を変えてみる。
 同じストレスでも脆弱性によって感じ方が違う。強く感じる人もいれば弱く感じる人もいる。強度を「9」と感じる人(弱者)もいれば「1」と感じる人(強者)もいる。客観的な基準が必要なら多くの人の平均を「心理的負荷の強度」としよう、ということになる。平均値が「5」であれば、「心理的負荷の強度」を「5」としよう、ということになる。【心理的負荷評価表】の「心理的負荷の強度」は三段階であるが、そのような決め方なのかもしれない。その平均値を出す際に『同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内』で『性格傾向が最も脆弱である者』を含めたのかもしれない。私はW医師の陳述をそのように解釈した。「平均値を出す」と言っても、医学的な経験を基にして「こんなものだろう」という決め方だと思われるが…。

 さて、厚労省は高裁の誤解を自分達に都合の良いように解釈したようである。『したがって判決は、最も脆弱な者を含んでいる基準という意味で、原審も国の考えも大差がないと判示したものと解され』とある。高裁も地裁も「判断指針の基準は最も脆弱な者を含んでいる」と判断して『専門検討会報告書及び判断指針の見解』を認めた、と解釈したようである。そして、『専門検討会報告書及び判断指針』と同じように名古屋高裁も『最も脆弱な者を基準として判断すべきという考えは否定している』と解釈したようである。

続き→【過労自殺の労災:トヨタ−3】


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