育てる→願う
『【弱酸性心理学:家族・2】』を読んで
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200501182020000000128642000
次の部分
★適当に優しい子に育てよう。(優しいばかりでは自分が辛い時もあるよね)
★全てにおいいてではなくてもある程度きっちとした子に育てよう。
★まじめも大切にしながら、適度な余裕も持てるように育てよう。
★人に迷惑をかけてしまうときもあるけれど(お互い様)なるべく迷惑をかけない
子どもに育てよう。
★時と場合には嘘も大切、でもなるべく嘘をつかない子に育てよう。
こんなふうに基準を緩める事で、ずいぶん子育てが楽になりました。
この基準を緩める方法は仕事や、家事、色々な事に応用できると思います。
これは基準を緩めることの大切さを子育てを例にして説明している部分である。緩める前の基準は次の通りである。
★優しい子に育てよう。
★きちっとした子に育てよう。
★まじめな子に育てよう。
★人に迷惑をかけないように育てよう。
★嘘をつかないよう子に育てよう。
完璧を目指しても不可能である。不可能に挑戦して無理をするとイライラする。そのイライラが子に向かうと子にとって害になる。そして自分自身にとっても害になる。だから「完璧でなくても良い」と妥協することが大切である。そういうことだろう。
その通りである。メルマガでは子育て以外の例も示して基準を緩めることを勧めている。「べき」思考からの脱却のすすめである。私は賛成である。
しかし、子育てなど対人関係に関しては基準を緩めるだけでなく、できれば発想の転換をしてほしい。メルマガで述べられている考え方の背景には「親が子を育てる」という一般的な考え方がある。それで問題はないのだが、できれば「子が育つのを親が助ける」という考え方に変えてほしい。「親が子を育てる」という考え方は親が子をコントロールしようとしている。その支配欲求から離れてほしいのである。だから「優しい子に育てよう」は次のようになる。
★できれば優しい子に育ってほしいな。
もちろん、これでさえプレッシャーに感じる子はいるだろう。しかし「優しい子に育てよう」と頑張るよりは良いのではないだろうか。だからといって親が何もしないのは良くない。子が育つのを何もせずに見ているのではなく、子が育つのを親が助けるのである。子は親の助けを必要とするだろう。その時に助けてあげてほしい。
これは対人関係でも同じである。「〜してもらおう」と他人をコントロールしようとすると、相手が思い通りにならずイライラしやすい。そのイライラが自分や他人にとって害になる。「〜してもらおう」ではなく「〜してくれたら嬉しいな」と思い、希望通りにならなかったら諦めるつもりでいれば、余裕を持って人と接することができ、良好な関係を維持しやすいのではないだろうか。
ありがとうございます。なんだか気が楽になりました。余裕をもって生活したい。そう思いつつ、余裕がなくなっていく毎日。ちょっとやさしくなれそうです。
by 4clover (2005-03-16 20:36)
4cloverさん、コメントありがとうございます。
お役に立てたようで嬉しいです。(^_^)
by 正己 (2005-03-16 21:31)
ワッショイ、ワッショイ、そいや!、そいや!、ワ~ッショイ、そいや!、そいや!。突然すんません、お祭り帰りなもんですから、足が未だ動いております。
いや~、子供なんつうのはよ~、とりあえず「すくすく」が1番じゃよ。
ワッショイ、ワッショイ、「痛ぇ~な~、俺の足だよ」、そいや!、そいや!、ワッショイ、ワッショイ、ワッ・・・・・・・・じゃ~又。
by おみこしワッショイ (2005-07-12 15:25)
おみこしワッショイさん、コメントありがとうございました。m(_ _)m
by 正己 (2005-07-12 18:59)