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共謀罪を含む改悪組織犯罪処罰法は
【「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動(東京新聞 2017/6/16)】

経験→思考→直感→決断

『「サバイバルは当たり前」 羽生善治が語る仕事—2 経験に足をとられるな』
(asahi.com:朝日新聞就職・転職ニュース、2006/01/15)を読んで
http://www.asahijobplatz.com/column/?id=155
次の部分

 勝負の席に着くと、私は大きな海原に出て行くような気持ちになります。しばらくは想定する中で進みますが、やがて気象条件は厳しく変化していく。暴雨風が襲ってきたり、動きの取れない凪(なぎ)が訪れたりする長い航海を乗り切っていかなくてはなりません。自分の持っている経験も、身に着けてきた力も度胸も総動員して次を決断していく連続ですが、いざというときの判断は実は直感です。

 自分が今日まで努力して積み上げてきたすべての力が働いて、無意識の中からぱっと出てくる、その考えに従っていいと思うのです。いくら情報を集めても、何手も先を読もうと努めてもそこには限界がある。私も次の判断がつかずに1時間も長考することがありますが、そのときは考えているというより、ただ、あちらがいいかこちらがいいかと悩みながら漂っているだけで、何も考えていないのと同じことです。

 一月前の記事である。羽生さんの意見に賛成したのでブログで紹介したいと思っていたのだが、これまで放っておいてしまった。

 「下手の考え休むに似たり」という諺があるが、「上手の考え」も「休むに似たり」ということがある。何かを決断する前に、あるいは何らかの結論を出す前に考えることは大切だが、考えても考えても結論が得られないのなら、最後は直感に頼るしかないだろう。大学入試などの試験の問題であれば問題を解く経験を積んだ上で考えれば正答が分かるだろう。しかし、日常生活で決断しなければならない時は、どんなに考えても正答の分からないことが多い。正答だと思っても、新たな情報を加えて考えたり、さらに先のこと考えたりすると誤答に思えることがある。誤答だと思ってもさらに先のことを考えると正答に思えることもある。将棋を指す時に似ている。『いくら情報を集めても、何手も先を読もうと努めてもそこには限界がある』ということである。そのような時は直感に頼っても良いだろう。意識せずに、無意識に、脳の中で計算されていて、その結果を意識したものが「直感」だろう。そこでは意識できなかった情報も含めて計算されているのだろう。そのような「直感」は信頼しても良いのかもしれない。ただし、経験不足な人の直感は、無意識だとしても脳の中で計算する際に使った情報が少なくて信頼できないかもしれない。
 考えて考えて二つの選択肢に絞られて、そのどちらを選択したら良いか迷う場合があるだろう。その選択も最終的には「直感」に頼るしかないだろう。意識的な思考結果と直感とで結論が異なって悩む人がいるかもしれない。考えて考えて結論が得られたのだが、間違っているように感じる。直感が思考結果を受け入れない。そんなことがあるかもしれない。その場合は直感通りの結論になるように思考しがちであるが、そんなことをせずに直感を信頼しても良いのかもしれない。直感による結論が間違っているように感じた場合も、間違っているように感じたのも直感であるから、その直感を信頼しても良いのかもしれない。どんな状況でも、結局は直感に頼るしかないのだろう。行動の「選択」というもの全てが「直感」の結果のような気がする。直感なしに決断することは不可能な気がする。
 羽生さんの意見をきっかけにして久しぶりに思考と直感について思考してみた。この記事の結論も直感による結論である。


タグ:思考と直感
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